橋本某長崎ノ人浜村六蔵増山ハ大番頭ニテ大坂在番錨ノトキ坪井生同道ニテ江戸二至ラレシナリ以上板倉天明4年8月,大坂城勤番を終えて江戸に戻るとき,雪斎は木村兼蔑堂を伴う。江戸滞在を終えて大坂に帰る蕪簸堂の送別の宴が催されるが,この資料にはその宴の出席者が挙げられている。友人の板倉十之進という高松藩士から立原翠軒が聞き知った当夜の出席者である。当夜集まった人々は,大名の子弟,儒者,書家などが多彩だが,画家としては渡辺又蔵(玄対),そして宋紫石の名が見える。宋紫石は,長崎で沈南禎の弟子熊斐に南頑派の画技を学び江戸に伝えた画家として知られる。酒井抱ーの兄で姫路城主酒井忠以の書いた「玄武日記」によると,宋紫石は酒井邸にしばしば姿をみせる。若年の抱ーの作品に南頻画風を認める説があるが,兄邸に出入りする画家から直に新しい様式を学んだことは想像に値する。雪斎と宋紫石とのあいだに類型を求めることは短絡的だろうか。雪斎が宋紫石から南頻画風を学んだ可能性を,仮説として提示しておきたい。増山雪斎作品目録花鳥図花鳥図花鳥図錦鶏図村長居宅図木蓮双鳥図琉球鳩文鳥図自讃山水図山水図紫陽花琉球鳩虫図額装絹本墨画著色113. 7*42.5 1814(文化11)鴨図花鳥図掛幅絹本墨画淡彩掛幅絹本淡彩129. 5 * 63. 0 1794(寛政6)ニ重県立美術館額装絹本著色40. 9 * 63. 8 1794(寛政6)二重県個人蔵額装紙本著色124. 1 * 55. 5 1796(寛政8)二重県個人蔵掛幅絹本墨画35.4*61.0 1797(寛政9)三重県照源寺額装紙本著色123. 8 * 52. 1 1798(寛政10)三重県個人蔵額装紙本墨画121.0*53.8 1803(享和3)三重県個人蔵掛幅紙本墨画143. 8 * 46. 7 1803(享和3)二重県個人蔵額装絹本墨画133. 0 * 4 7. 5 1805(文化2)掛幅絹本著色110.2*41.4 1815(文化12)三重県個人蔵掛幅絹本著色116.5*47.5 1814(文政1)三重県立美術館-156-1786(天明6)三重県継松寺県個人蔵県個人蔵
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