鹿島美術研究 年報第5号
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(26) 日本中近世における鳥獣を含む肖像画に関する調査と実証的研究(中間報告)研究者:東京大学史料編纂所助教授加藤秀研究報告:應及び鷹を含む画像1.徳川家康画像うち7点はその孫3代将軍家光が夢想したものを描かしめたもので,寛永16年〜正保4年にわたる。1点のみ鷹が表現されないが,他は全て白鷹を伴う。但し,どれも背景の壁画に描かれるが,距離は無視され,像主の右向の視線上に位置し,相対面している。これは伝信玄像の隼に較べて,実在を描いたのではなく,背景の絵として,より象徴的なものである。夢想によった故もあろう。残りの1点は夢想ではあるが,他の7点と異なり,裏書に年紀なく,天海着賛あって,構図も異なる。その特徴は背部,像主頭上に,白鷹が床の壁に描かれて正面し,像主は右前方向き。下部庭上に造り物らしからぬ鶴をおく蓬菜,亀を歩ましめる。白鷹・家康頭部・蓬茉は一直線上にあり,白鷹は鷹狩マニア家康をはさんで鶴に対峙する。鷹狩の最上の獲物は鶴である。家光は祖父家康を敬慕し,家康に少しでも近ずこうと努めた事は有名な事実である。白鷹は稀有で珍重されたものである。白鷹と蓬茉により神君家康の神聖を表したものであろう。他の例に見える右手の應の位置に不自然に置かれた大小を架した刀掛は,武・将軍を象徴するものであろうか。床に飾られた花生の椿とおぼしき花の意味は未解明である。(管見では絵鷹奉納は家康に対するものが最も古い例のように思われる。)1.松平斎貴肖像白小袖・紫袴・黒紋服姿で床几にかけ,右手に中啓,左手に睛の鶴捉りを居え,背中に僅かに餌番の雉の尾をのぞかせる。入道後の肖像である。應と視線相対し,面部は極めて写実と思われるのは,特徴の出歯を子細に描いてあることで理解されよう。但し,服装は狩姿ではないので,歿後に備えた肖像ではなかろうか。1. 当時の應野装束の像であるが,鷹を居えていない,いわば留守図である。歯は普通に描かれて見えない。(説明省略)1.松平斎貴愛鷹記井同像特定の愛應「大沼」を顕彰せる一種の肖像である。(説明省略)同月光輪王寺蔵8点月照寺蔵県立図書館蔵早大図書館蔵-158-

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