しんばがないのは釈門故だろうか。賛の添書に“蓋賞其神駿也”とあり,符瑞としての神馬1.成瀬正虎像二点ーは鉄抱を,他は大鷹を居えたリアルな狩猟姿である。珍しい像ではあるが,寿像なのかどうか,伝記史料等にまで調査が及んでいない。隈のみの写生像1.紫保鶴像珍しい羽色の紫保鶴を,伊達吉村が将軍に献じ,御感に与ったので感激,願って絵師に写生せしめ,記念としたもので,表装に贅をつくしたものである。博物画に類すると思われるが,画そのものは生硬に見える。1.水戸徳川家鷹匠像スケッチ風に写生彩色したもので,鳥は鶴,居手は鷹匠である。一種の記念写真的肖像であろう。馬及び馬を含む画像1.駿馬図(足利尊氏愛馬図)景徐周麟賛八代将軍足利義政が描かしめた著名なものであるが,時代を隔てて描いたもので,理想像と考えられる。退色もあり,毛付も明らかでない。賛にこの馬を特定する形容の系統をひき,従って絵馬の形態と同様である。一見白河原毛のようであるが,神馬の毛付の“白髪尾黒馬”と,太子伝説にある“四脚白の烏駒”を合せ,主毛を白色に甑・尾を黒へと,逆にしたかの感があるもので,相馬よりすれば理想の名馬であろうと考える。馬体をよく見せるためか,牽手の綱より見て,後方に位置して描いているのが珍しく,頭絡の環は旋子でなく,綱は通すのみで固定せず,左右に多少の遊びを与えているように見える。古様のように思われる。1.騎馬武者像(伝足利尊氏騎馬像)文化庁蔵近年像主に諸説あって定説がない。通常の出陣影でないことは衆目の一致するところである。高師直説がある。筆者は史料編纂所模写本より,曽てそう考えていたが,実見の機を得なかった。その決め手は家紋と見た輪違紋であるが,鏡四方手の大きな面に,単なる輪郭のみの輪違=唐花を内包せぬ輪違紋は,当時としては違例であり,『見聞諸家紋』に描ける“輪違の中に唐花”を名稲より輪郭のみの輪違紋と同一と見たのは早計であると考える。目貫の“輪違紋”は判然と見出せなかった。剥落の故だ白林寺蔵仙台金ヶ崎氏蔵彰考館蔵-160-京都国立博物館蔵
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