関連調査として,平安時代後期の建築遺構として富貴寺大堂・往生極楽院•福島願成寺像の宝冠に描かれている。この像は宋画の影響が強くみられるものと考えられるが,近似例としては新知恩院蔵六道絵中の女天が被る宝冠があり,また醍醐寺蔵渡海文殊図子閻王頭飾にも用いられている。ただし,正倉院蜜陀彩絵箱に既に見られることを付記しておく。(5)柱における帯部の唐草は,紐状に絡み合い,あたかも結び目のような部分を作っているが,こういった意匠は,宋代の中国大足県北山石窟諸菩薩の冠や装飾の中に見ることができよう。(6)荘厳画は寒色系顔料が目だち,また白地を生かすなど全体に清潔感のある爽やかな彩色で表されている。暖色系顔料も使用は決して少なくないが,平安時代の彩色例よりはよほどあっさりとした印象を与えている。これは描かれた文様の形や余白との釣合などとの関わりにもよるのであろう。寒色系の色彩の好みは,永保寺蔵千手観音図や建長寺蔵仏三尊図にも窺われるように,宋代絵画の特徴といえよう。また,青色にはすべて群青を用いており,他の壁画遺品においていわゆる代用群青を用いることが多いのにここではそれを使用していないことも特徴かと思われる。比較的に彩色壁面が少ないことによるかもしれない。このように,海住山寺五重塔内陣荘厳画において宋代美術の影響は顕著に指摘される。さらに扉絵の仏画史からの検討をも含め,日本の他の絵画遺品や建築装飾等との比較検討を行うことにより,海住山寺五重塔内陣荘厳画を美術史的に位置づけ,同時に鎌倉時代初期における美術状況を明確化することを努力したい。阿弥陀堂などを調査あるいは見学し,さらに奈良国立博物館等において鎌倉時代仏画の調査を実施した。特に大陸美術の影響という点で,北宋・南宋・元それぞれの関係あるいは特徴と,さらに日本における対応関係を明らかにするため,海住山寺五重塔の年代からやや離れる遺品をも対象とした。そのうち,東京青梅金剛寺蔵如意輪観音像については,研究内容を論文として発表した(『仏教芸術』177号,昭和63年3月)。海住山寺五重塔内陣荘厳画については,さらに扉絵の様式的研究など課題が残っており,現在その関連調査も進行中である。今報告では塔内装飾文様について述べたが,細部意匠を探ってゆくと以外に多くの遺品に共通点が見いだせ,とくに平安末期から鎌倉時代における多様な仏画の整理,あるいは各遺品間の関係などに多大の示唆を与えうるものといえよう。172
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