鹿島美術研究 年報第5号
198/290

(29) 新人画会に関する調査研究研究者:東京国立近代美術館研究員田中研究報告:昭和という時代を検証するとき,戦前,戦後と称することで,1945(昭和20)年の終戦を境にあたかもすべてが一変したかのような印象を与える。しかし,本質的には戦前と戦後の間には大きな断絶があるというよりも,継承されるべき多くの課題があったはずである。その点から,戦時下の厳しい状況のなかで,真に創作の名に値する作品を描きつづけた画家たちが参集した新人画会は,まさに架橋の意味を担っていた象徴的な存在であったといえるだろう。本研究は,昭和61年に東京国立近代美術館において開催された「松本竣介展」を機に収集された資料を基礎にはじめられたものであり,すでに松本竣介を中心に新人画会に関する資料も一部調査されていた。したがって,その蓄積をふまえて次のような計画で調査をすすめることにした。第一に,昭和10年代にうまれた多くの前衛的な小グループの調査。新人画会に参集した画家たちは,それ以前から二科会,美術文化協会などの諸団体に作品を発表する一方で,その交友から小グループをつくり活発な発表活動をつづけていた。これは,当時「街頭展」と称されたように,新人画会の画家に限らず,既成の美術団体に飽きたらない青年画家たちの広範な動向として注目すべき点であり,いいかえれば新人画会もそうした状況の末期にうまれたグループのひとつであったともいえる。第二に,新人画会に加わった8名の画家に関する資料収集。この点については,文献資料の収集と平行して現存する画家に面談を願い,戦前からの状況に関して教示をうけることにした。以上のような計画に基づき調査をすすめるに及び,今回成果としてあげられるのは,難波田龍起氏の所蔵する当時の資料を調査収集することができたことである。今日,精神性の深い抽象表現で知られる同氏は,戦前には独特なヴィジョンを通して古代世界への憧憬を表現し,一貫して精神的な前衛を守りぬいており,また新人画会の画家たちとも同世代であることもあって,彼らと精神的な共通項をもった画家のひとりといえる。実際,戦後の再興に際して,新人画会の画家たちがこぞって参加した自由美術家協会に,同氏は昭和12(1937)年の創立から,昭和34(1959)年まで出品をつづけており,また戦前には,鶴岡政男が中心になっていたNOVA美術協会や松本竣介も一時参加したフォルム展を主宰していた。とくに,同氏と松本竣介の交友がきわめて淳-174-

元のページ  ../index.html#198

このブックを見る