鹿島美術研究 年報第5号
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美術史よりもむしろ文学研究者によって主導された従来のラファエル前派研究の一般的傾向である。しかし,ラファエル前派及びロセッティを始めとするグループの各人を真に理解し,美術史の中に然るべく位置づけるためには,彼ら自身がこの名称に託した意味とグループ結成の真意を問い直し,また,彼らが過去のさまざまな芸術傾向とどのような関係にあったかを改めて探究することが,研究の出発点でなければならない。ラファエル前派の目的に関しては結成時の綱領のようなものは存在せず,W.M.ロセッティとW.H.ハントの回想録(前者は1895年,後者は1905年刊行。但しハントの回想は部分的には1886年に発表)を通して知りうるのみである。従って,回想の中の記述をそのままグループ結成時におけるメンバーの総意とみなすことには問題があるが,両者は基本的には一致するので(囚習に従って安直に制作される芸術を否定し,表現すべき独自の着想を持つこと,自然そのものに忠実であること,かつ先人の優れた業績を指針として参照することを原則とする),大筋においては信じてよかろう。ハントはさらに彼らの運動が復古主義と見倣されたのは全くの誤解であることを強調し,「プレ=ラファエライト」とは,ラファエロの芸術から抽出した法則に従って類型的で仰々しい作品を安直に生み出す芸術の類廃が発生する以前の存在という意味であり,初期ルネッサンスからラファエロの円熟期までのイタリア美術に共感はしたが,この様式を直接の手本としたわけではないと述べている。「ラファエル前派はイタリア初期ルネサンス美術の再生を目指した」という通説は,少なくとも当事者の言葉からは裏付けられない。それでは,イタリア初期ルネサンス美術を含めて,ラファエル前派と過去の芸術傾向との関係は現実にいかなるものであったか。この問題を追究するに先立って,この運動が構成員の変化と時代の推移に伴って変質したことを認識する必要がある。狭義の「ラファエル前派」は1848年9月にハント,ミレイ,ロセッティ兄弟らによって結成され,1853年にミレイがロイヤル・アカデミー準会員に選出された頃,事実上解体しているが,この時期に彼らが目にしえた過去の美術を,当時の英国で過去の絵画が公開されていたほとんど唯一の施設であるロンドン・ナショナル・ギャラリーについて調べてみると,1848年には,全184点の収蔵品の大半は,アカデミズムの立場から範例として推奨されていた盛期ルネサンスと17世紀の作品で,初期ルネサンスのイタリア絵画は僅か9点,それも同年購入の2点のロレンツォ・モナコ以外は,ラファエロ-176-

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