3点,フランチャ2点,ペルジーノとジョヴァンニ・ベリーニ各1点と,初期ルネサンス末期に集中している。初期ルネサンスの作品については複製版画も乏しかった。また,通常ラファエル前派結成の直接の契機になったといわれるピサのカンポ・サントの壁画の複製版画にも,ハントの回想では決定的な意味は与えられていない。ハントとD.G.ロセッティに関しては,実際にイタリア初期ルネサンスの主要画家たちに接し得たのは,グループ結成の翌年秋の大陸旅行の際である。すでにかなりの数の初期ルネサンス作品を有していたルーヴルで初めてフラ・アンジェリコ,ボッティチェリ,マンテーニャらの作品を実際に見て彼らが強い印象を受けたことかは,ハントの回想からだけでなく,その時点で書かれたD.G.ロセッティの手紙や詩から確かめられる。但しW.M.ロセッティの回想によれば,通常ラファエル前派が再発見したとされるボッティチェリに対して,D.G.ロセッティが本当に関心を示したのは1860年以降であるという。ここで注目すべきはラファエル前派と初期フランドル絵画の関係である。この問題は,画中の鏡のような個別例に即して指摘されたことはあるものの,様式全体についてはいまだ充分に論じられていない。1849年のルーヴル訪問では,特にロセッティがファン・エイクの作品に魅了され,彼らはさらにベルギーの古都(アントヴェルペン,ヘント,ブリュッヘ)を訪れて,ファン・エイク兄弟やメムリンクの作品の精緻な描法,素朴な着想,神秘的内容に深い感銘を受けた。そして実際に,狭義のラファエル前派の作品を特徴づける風景の細部の近視眼的描写や人物の非類型的・非理想的表現は,まさしく初期フランドル絵画の特質に合致するものであり,イタリアの初期ルネサンス絵画では,人物形態は理想化され,風景は様式化される傾向が強い。フランドル絵画との関係は既に同時代の批評において,否定的な観点(ラファエル以前でもイタリアの画家は美や威厳を追求したのだから,「ラファエル前派」はその拙劣・醜悪ゆえに初期フランドル派の中の劣った画家たちに比すべきである)から指摘されている。また,旅行直後に描かれたロセッティの《我は主の端女なり〉については,肯定的な意味でメムリンクの雰囲気をもつとした批評もある。技法の面でも,ラファエル前派のやり方は一般に信じられているようにイタリアのフレスコを手本としたものではない(「第二次ラファエル前派」が後にフレスコを試みていることはこれとは別問題である)。フレスコと同じ白い下地を用いているにしても,下地を乾かし,滑らかに磨いた上に細い筆で入念に描いているのは,フランドル絵画のやり方にほかならない。また,-177_
元のページ ../index.html#201