ラファエル前派の作品における写実性と象徴性の統合も,初期フランドル絵画の特徴である(但し,この統合についてはラスキンが1846年刊の『近代画家論』第2巻でティントレットの作品について述べており,ハントがこの記述に注目しているので,フランドル絵画が唯一の発想源だったわけではない)。とはいえ,初期フランドル絵画もイタリア初期ルネサンス絵画同様「プリミティヴ」と見倣されていたから,ラファエル前派結成時,ロンドン・ナショナル・ギャラリーにはヤン・ファン・エイクの〈アルノルフィニ夫妻像》があるだけだった(しかし,ハントは当時からこれに注目している)。また,「フランドル的」写実性は,人物,風景ともにロセッティにはあまり該当せず,逆に旅行に加わらなかったミレイの作品に顕著であり,さらにラファエル前派の個々の作品は決して初期フランドル絵画の模倣ではないから,初期フランドル絵画の影響のみからラファエル前派の芸術を説明することはできない。しかし,初期フランドル絵画の油彩技法は,1847年刊のイーストレイクの『油彩技法の歴史』でも高く評価され,詳しく説明されていること,また緻密な風景描写に関しては,ハントがミレイに影響を与えた可能性があることは考慮に値する。世紀初頭以来ローマで活動していたドイツ人画家のグループ「ナザレ派」とラファエル前派の関係(両者の現象的共通性。事実上のラファエル前派画家となったF.M.プラウンを含め,ローマでナザレ派の影聾を受けた英国人画家の存在)は既に指摘されている。しかし,独特の素描の様式を別とすれば,ナザレ派との関係は様式面ではブラウン以外にはあまり認められず,またハントは少なくとも回想録においては初期の絵画の無垢を街う復古主義」としてナザレ派に否定的であるから,ナザレ派の影聾を過大視することは慎まねばならない。狭義の,もしくは発生時のラファエル前派は,理念的にはイタリア,フランドルを問わず「プリミティヴ」な芸術に共感していた。しかし,具体的指針として参照されたのは初期フランドル絵画の方であった。ところが,1860年頃,画風を大きく変化させたロセッティと彼の弟子バーン=ジョウンズを中心に再出発した「第二次ラファエル前派」にはイタリア・ルネサンス美術の影響が著しい。ティツィアーノ及びミケランジェロという「ラファエロ以後」の作家の芸術がロセッティの変貌の重要な契機となったことについては既に発表してあるので(『へるめす』No.10,1987年),ここでは,初期ルネサンス美術との関係が初めて具体的なかたちをとったことに話を限りたい。バーン=ジョウンズとその追随者たち(スペンサー=スタナッフ゜,デ・モーガン,ス_ 178-
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