鹿島美術研究 年報第5号
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『程氏墨苑』には,明末万暦年間(1573■1620)に活躍した著名画家丁雲鵬による下絵をもとにして版刻された多くの挿図がみられる。同書は,当時,安徽省で最も名高い製墨商程太約が制作する墨の様々な形とそれらの表面の装飾的なデザインを集めて版画集としたものである。丁雲鵬は,道釈画を最も得意としたようであるが,呉派風の穏やかな山水画から古怪な姿の羅漢像まで幅広い画風で描き,多様な画題をとりあげた人気作家であった。彼が版画製作にたずさわるようになった背景には,その出身地が当時隆盛をきわめていた版画産地があった安徽省であることを見逃せない。『程氏墨苑』の挿図中には丁雲鵬の名が木刻されているものが少なくないのであるが,山水から道釈まで彼の肉筆画の特徴がよくあらわれている。丁雲鵬の版画活動はこれだけにとどまらず,『程氏墨苑』から少し遅れる万暦21,2年,(1593, 4)に別々の版元から上梓された『養正図解』にも彼の下絵が挿図としてあらわれる。両本とも安徽省の新安を本拠地とする黄氏一族の刻エ達によって彫られた精刻の版画である。又,万暦年間に刊行された『五言唐詩画譜』には「丁雲鵬写」と款記された観瀑の羅漢図が一点ある。ただし,この場合,丁雲鵬が画譜のために一図だけデザインしたとは考えにくく,評判をよんでいた彼の道釈図を模写して版下としたと思われる。いずれにしても肉筆画との密接なつながりがみられる別の一例である。これまでの明代版画は,無名の画工によって版下が画かれるか,刻エが版下製作も兼ねていた。『程氏墨苑』は,本格的な著名画家が挿図本の版下絵を作る例がなかった時代に,丁雲鵬オリジナルの版下絵を得て出版された注目すべき挿図本である。『十竹斎書画譜』は,『程氏墨苑』から遅れること23年,南京の胡正言によって制作され,自ら版下絵を描いたことが知られるが,胡正言自身のオリジナル版下の他に多くの明末画家の構図をも利用している。いずれも花鳥竹石を描いて複雑ではない構図であるが,図中に木刻される画家名は,呉彬,高陽,高友,帰昌世,魏之瑣,沈硯等合計30名に余る。しかし,この場合は,『程氏墨苑』における丁雲鵬の版下とは異なり,各画家の特徴がみられるわけではなく,図柄は一本調子で似通っている。肉筆画との関係ということでいえば,図中に名前が登場する著名画家の作品とのつながりではなくて,画家としては知名度がずっと低い胡正言の作風を示すものであろう。多くの画家名はほとんど仮託したものと考えられる。『関斉傲本西廂記』は私家本であり,版元の関斉傲自身が版下を作り,計21図の版画-180 -

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