中にその字の遇五が2回あらわれる。画家としてはまったく無名だが,読書人の関斉倣らしく古玩趣味をも存分に発揮して,青銅器,玉器,廻灯篭,扇面,画巻といった様々の道具仕立で一図毎に工夫をこらした創作的な版下を作っている。加えて,他の西廂記諸本も含め,先行挿図本の有名画家によるデザインや古代の肉筆名画の構図やモチーフを巧みに応用しているところがみられる。例えば,ヒロインの鶯々像は元の盛子昭の原図によると款記されるが,実は閃斉倣本の10年前に出版された李告辰刊の『西廂記』に当時の人気画家陳洪綬が画いた鶯々像の剰窃である。閃斉仮の版画で肉筆画との関係上興味深い例としては,主人公の張君瑞と鶯々が結ばれる場面の第13図や鶯々が都からの吉報を受けとる場面の第17図があげられる。第13図は,夜景で四柱寝台の周囲を屏風が囲み,すき間から夜具がかいまみられて暗示的な表現となっている図である。寝台を屏風でとり囲む図は,古くは東晋の顧惜之作という伝称をもつ『女史蔵図巻』(大英博物館所蔵)のー場面などが想起されるが,閃斉仮の版画は,南宋初期頃の制作と考えられる伝顧間中の画巻『韓煕載夜宴図』に描かれる類似の場面を参考にしたことが考えられる。同画巻は,明代中期の唐寅によって作られた模本等もあり,関斉倣がその構図を学び取る手段,機会があったはずである。第17図の場合も,前図程明確ではないものの,古画との関連が考えられる。関斉傲は登場人物を大きな屏風の中に描き込んで画中画の形としている。さらに画面の主要部分をしめている鶯々像の背後に山水を画いた衝立が重ねて画き込まれている。画中画の屏風の中にさらに衝立が画かれていることになる。こうした表現は,先の顧閃中と活躍年代の比較的近い五代南唐の周文化矩『重屏図』(北京・故宮博物院)の構図によってよく知られている。そこでは囲棋を打つ人物達の背後に立てられた屏風の中にもう一つの屏風が描かれている。閃斉仮が版下を制作するにあたって,古画に範をもとめ,或いち着想を得たのは明末文芸を特色づける“復古主義的”な気運の反映とみることもできよう。いずれにしても『閃斉仮本西廂記』版画は古代名画を応用する例として明末挿図本中に特筆される。上述の三挿図本に共通する特徴は多色刷版画をもつという点である。墨一色で刷っ(2) 多色刷版画の発達-181-
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