鹿島美術研究 年報第5号
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た版画に筆彩を加える,又は本文を朱墨二色で印刷するなどという工程ではなくて,数種類の色を用いて刷り上げるのである。『程氏墨苑』の場合は,多色刷りの原初的な形の好例であり,他の二本は飛躍的に進んだ技術によっていて,『十竹斉書画譜』で開発したものを『閃斉f及本西廂記』が応用している。『程氏墨苑』の多色刷版は遺存例がきわめて少なく,一般にみられるのは墨一色版である。デイビッド財団所蔵本はこの点で稀観本といえる。この場合の印刷法は「一套多色刷」と呼ぶべき方法である。一枚の版木を用いるが,この版木の各部分に必要に応じて5,6種の異なる色を塗り分け,一回で摺り上げる。この方法では色彩表現に限界があり,濃淡の調子の変化を含めて色彩を効果的に活しきれないところがある。これに対し,『十竹斎書画譜』で実現した多色刷法は画期的である。今回の調査では,大英図書館所蔵本の他にベルリン東亜美術館蔵本も実見したが,両者とも明版とみられる刷りの良い版画ながら,天啓の原刊本と断定しきれない。今は館側の説明に従い原刊本としておく。画期的な多色刷法は“匝板”と呼ばれる技法である。まず構図全体を彫った一版を作る。その上で,必要に応じて複数の部分版木を用意し,数種の色を塗って摺る方法である。摺る回数の多少によって同じ版木でも部分によって色の濃淡を微妙に段階的に変えることができる。“匝板”による効果は,この点で最も良く発揮される。胡正言は,版画産地として名高い徽州の刻工,摺師を動員して南京で多色刷画譜の上梓に成功したのであった。この技術を存分に活して,これまで文学書の挿図ではみられなかった多色刷版画を作ったのが問斉f及であり,『関斉仮本西廂記』の場合である。『十竹斎書画譜』で完成した技法が,ここでは人物や山水表現を含むもっと複雑な構図の版画を生み出している。ケルン本閉斉傲西廂記の版画は六色用いた多色刷りに濃淡の変化をつけ,さらに“挟花”とよぶ空摺りを混えた手のこんだものである。昨夏,南京で催された『十竹斎書画譜発刊三百四十年記念学会』で発表された王伯敏氏の論文は,浙江省図書館に』色刷の関斉仮本西廂記があることに言及しているが,図版で紹介されることもなく,又内容についての説明もなく今のところケルン本との比較検討ができない。筆者が,これまでに実見した版画及び出版物で紹介されている中国明末挿図本で画譜類を除くと,ケルン本は“匝板”による類例のない初期の遺存例ということになる。-182 -

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