(3'/J 院政期主流仏師(円・院派奈良仏師)の動向とその遺品の研究『十竹斎書画譜』から『関斉傲刊西廂記』へとつながる匝板技法は,やがて清初に入り康煕18年(1679)の中国画譜史上最も有名な『芥子園画伝・初集』に受けつがれることとなる。さらに同面伝は第二集,三集と続き,いずれもこの技法によって花鳥竹石の優れた版画を生み出すこととなる。以上,三挿図本の版画は,まず第一点として明末期における肉筆画と版画の接近及び交流をよく示し,このことを通して17世紀前半の中国版画の芸術性の向上を如実に示している。そして,第二点として新開発の多色刷による版画技法の完成と応用の状況を明代最末期の30年間にみることができた。上記二点が確認できたことが本研究の成果の主なところである。研究者:東京芸術大学美術学部非常勤講師武笠研究報調査研究の目的に従い,報告者は既に,鳥羽上皇期円派系仏師の二作例の造立年代と作者を確定している。安楽寿院阿弥陀如来像(保延5年〔1139〕長円工房作),西大寺四王堂十一面観音像(久安元年〔1145〕円信作)がそれである。さらに近時,伊東史朗氏により仁和寺北院薬師如来像(康和5年〔1103〕円勢・長円作)が紹介され,12世紀前半期円派作例がまた一つ加えられた。様々な問題を内包するこの仁和寺北院像を中心に,院政期彫刻史は新たな段階を迎えつつあり,特に円派作例の充実は,少なくとも12世紀前半期に於いては,広く中央様式全般を探る段階から各派様式の検討へと進みうる可能性が出てきたことを示している。しかし,このような円派作例の増加に対し,この期の院派及び奈良仏師の遺例は数少ない。院派の作としては法金剛院阿弥陀如来像(大治5年〔1130〕院覚作)があげられるが,後代慶派に連なる奈良仏師については確実な遺例が知られていない。そこで本調査研究では,岡直己氏によって奈良仏師康助作との推定が出されている金剛峯寺大日如来像(谷上大日堂旧在)を取り上げ,その様式的性格の再検討を行った。また,そのための予備的考察として,平安後期から鎌倉初期の大日如来彫刻像の変遷を検討し,若干の成果を得た。以下に報告する。朗-183-
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