鹿島美術研究 年報第5号
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1.金剛峯寺大日如来像(谷上大日堂旧在)について現在高野山霊宝館所在の大日・釈迦・阿弥陀(転法輪印)如来像三体は,もと壇上伽藍西北の谷上大日堂にその本尊として安置されていた。岡氏は,この内大日如来像について,久安4年(1148)康助造立説を提示された。この示唆に富む魅力的な見解の,特に様式面での再検討が中心課題である。以下に研究の現状を述べる。本像の伝来については岡氏の推定に矛盾はない。文献検討の詳細は省略するが,『紀伊続風土記』『高野山奥院興廃記』『高野春秋』『台記』等の諸史料により,本像は藤原忠実発願久安4年供養金剛心院本尊五智如来中尊であるものと考えられる。様式的にもこの造立年代の推定は妥当だが,本像の作風が康助作とするに相応しいものか否かが問題となる。本像は像高156.5cmを測る半丈六の金剛界大日如来像。周縁に飛天10駆を配したニ重円相光を負い,裳懸の八角須弥座に坐す。ヒノキ材寄木造,漆箔,彫眼。銅製宝冠,白奄,光背裏板,天蓋裏板,漆箔等が後補である。また,現三尊像の内阿弥陀はその印相から明らかに別作,大日・釈迦が一具かと思われる。なお,ここでは,検討が不十分な釈迦像及び大日像光背台座天蓋は省略し,大日像本体についてのみ報告する。さて,平安・鎌倉期大日如来像の変遷に照らして,本像にいかなる様式的特徴を指摘できるのか,以下に分析の概要を述べてみたい。まず本像の形式的側面で注目されるのが,髯・天冠台・両脚部衣文の3点である。大日像の髯は,12世紀前半期の定朝様作例では螺髯とするのがほぼ一般的だが,本像のそれは側面を渦巻形にする丈高の太い髯で,この期としては珍しい形である。むしろ金剛峯寺西塔大日像のような9世紀作例との類似が指摘できる。慶派作例の髯の形が平安初期密教彫像に学んだものであろうことは既に指摘されるところだが,あるいは本像にもそれと同様なことが言えるのかも知れない。次に,本像の天冠台は彫出で〔無文帯・花形〕形式。天冠台に於ける無文帯の使用は,この期としては非常に珍しいが,後代慶派作例には多くみられ,特に本像のそれは興福寺南円堂四天王像中広目天のそれに近似する。また,本像の両脚部衣文形式は,両ふくらぎ辺から左右に流れる衣文と膝頭辺の衣文とを表わすもので,彫像では類例の少ない珍しい形である。わずかに薬師寺弥勒菩薩坐像(未指定),足利・光得寺大日像がこれに近い形式を持つ。前者が平安最末の奈良に於ける造像,後者に運慶真作の可能性が高いことを考えると,・天冠台と同様に慶派へのつながりが示唆されてくる。また,この形式が,仏画や-184 -

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