(33)クロード・ロランの風景画の研究ーピクチャレスク・ランドスケープの源流を求めて一研究者:京都工芸繊維大学工芸学部助手藤田治彦研究報告今回は,クロードによる風景画の評価と解釈の歴史に関して,イタリア,イギリス,そして日本で行った調査研究を基礎に,その一部を報告する。1.明治洋画とクロードの近代クホード・ロランことクロード・ジュレは,現代の日本では,むしろ知られざる画家のひとりとなっているが,明治の洋画教育元年とも言える明治9年に,翻訳書を通じて,他の画家とは別格の扱いを受けて紹介されている。「古ヨリ天景諧二高名ナル翻工ハ羅馬需校ノ首長タリシロルライン産ノクラウド,ゲレー氏ヂッチ需學校ノ首長タリシキュピー氏サルバトルロサ氏ガスペル,ポウッシン氏等ニシテ其クラウド,ゲレニ氏ハ需味ヲ専ラトスルニ因リ設色ノ華麗卜陽影陰影ノ分色ヲ旨トシテ着色ハラハヱ生氏ノ朧法二傲ヒ天景ノ需二頗ル妙術ヲ得タル人ナリ…(生没年省略,下線,二重下線は,原訳文では,傍線,,二重傍線)」ここで「クラウド,ゲレー」と表記されているのがクロードであり,「キュピー」はカイプ,そして「ガスペル,ポウッシン」がニコラ・プサンの義弟ガスパール・プサンことガスパール・デュゲである。これは文部省が明治6年から邦訳刊行を始めた百科全書の一冊『需學及彫像』の一部で,工部省がイタリアからフォンタネージらを招請して工部美術学校で本格的な洋画教育を開始する明治9年に印行されたものである。その原本は,1833年から1835年にかけてエディンパラで出版されて以来40年間に5回の改訂を重ね,1848年にはアメリカ版を加えるなど,19世紀の英語文化圏のロングセラーとなったChambers'sInforma-で確認できる限りでは,1874年から1875年にかけて出版された5訂版に,その内容は近いが,両者には図版数などに相異がある。このように百科全書『需學及彫像』は一冊の書物の体を成しているが,イギリスの出版物の部分訳ゆえに,それ自体の邦訳の個別的な意義を過度に強調することはできない。だが,それに先駆けて大学南校そして文部省により,明治4年から8年にかけtion for the Peopleで,『朧學及彫像』は,その一大項目“Drawing-Painting-Sculpture”を翻訳し,一冊の小型本として出版したものであった。現在,大英図書術-188 -
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