鹿島美術研究 年報第5号
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訳語も定まらぬ時期であった。Chambers'sInformationには“landscape"という葉が10箇所に用いられているが,その邦訳『需學及彫像』では,それらのうちの6箇所に「天景」または「天景ノ需」,3箇所に「遠景」,そして1箇所に「天然の景色」という訳をあてている。無論「風景」という言葉は,日本,そして中国古来の言葉として存在している。だが,それを西洋の絵画に「風景画」として通用すべきか否かということは微妙な問題だったであろう。もっとも逐語的に「ランドスケープ」に対応する言葉の一例は,伊藤博文が3名の外国人教師を工学寮に雇い入れる件を具申する伺書に添えられた覚書に記されている「地景」である。その結果招聘されたフォンタネージのエ部美術学校における講義の一学生の記録には,「風景」および「風景需法」という言葉が見られる。この時期,その他にも「景色」や,甚だしい場合には「山水」などと,「ランドスケープ」への日本語の対応は大いに揺れていた。明治洋画研究の先駆者たちが伝えるところでは,フォンタネージはフランス語で講義をし,通訳を介していたと言われるので,その「風景」は英語の「ランドスケープ」ではなく,フランス語の「ペイザージュ」(またはイタリア語の「パエザージオ」)に対応すると考えておくべきだろう。実際のところ,「風景」という古来の言葉には,語源上,前者よりも後者に自然に対応するところがある。近代の「風景」の概念に関しては,より確実な史料を加え,更に内容分析を進める必要がある。學及彫像』の訳者は,その1箇所も,適切には訳し得なかった。西洋の古典的伝統から見れば,「ピクチャレスク」はむしろ東洋的観点の新造形思潮である。しかし,それは「ランドスケープ」と共に,一見明白だが,その深奥は異なった時代と文化の帳の陰に,極めて把握し難くなっている。それは,現代の欧米においても同様であり,東洋的視線と西洋的視線を交差させつつ研究を展開し,西洋風景画の一原点であり,おそらくは,同時に近代風景画の一原点とも言えるであろうクロードの絵画に,新たな光の照射を試みている(クロードの風景画における樹木と太陽の表現に関しては,本研究の成果の一部を,既に京都工芸繊維大学工芸学部研究報告『人文」第36号に発表している)。Chambers's Informationには,“picturesque”の語が5箇所に使われているが,『需-193-

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