すると,これまでいわれているように,喜多院本が原本でないことが判明した。上記の作品群中,もっとも喜多院本に近いのは,②の田辺家本であり,両者を比較した結果,興味深い事実が判明した。たとえば,額顕師図中,庭の草むらのなかで一匹の猫が前足をあげて何かとたわむれるさまを描くのだが,猫の相手が何なのか,一切を描いていないので不明である。ところが,田辺家本には,猫を手招きしている子供の姿を明確に描いていることがわかる。そうすれば,田辺家本がさきに成立したと考えられるのだが,同じ図中でそれを否定する描写がみられる。喜多院本では,染めあがった布地に筆で描き絵をする女性を描くが,田辺家本では,筆を描いておらず,一体何の作業中なのか意味を不明にしているのである。このように,ー職種図をとりあげて比較しただけでも,両者の原本と模本との関係を打ち消す要素を内在しているのである。そうすれば,両者は原本と模本との関係にあるのではなく,両者にまたがる祗本の存在を想定せざるを得ない。残念ながら,これまでの調査では,祖本の存在の確認はできなかった。多院本系作例中,田辺家本以外は,江戸中期以降の作品であり,原本・模本という確認作業の対象とはならなかった。今回の調査で,喜多院本とほぼ同じ時期に成立しながら,図様をまったく異にする作例が確認された。① 中嶋家本職人尽絵② 某家本職人尽絵図屏風③ 東京芸術大学本職人尽絵④ 扇屋軒先図屏風(二曲一隻・大阪市立美術館)以上の作例中,中嶋家本がもっとも古様とみなされ,その成立は,寛永期頃とみて大過あるまい。②・③・④は,①を原本として制作されたも考えられる。①は,現在は十二図残るのみだが,元来は二〇図近くのものであったと想定される。①・②・③の図様にまった<共通するものは,甲胄師図.壁塗師図・額顧師図.系師図で,それらは細部にわたっては幾分差異はみられるものの,基本的な描写は全く同質である。①に比べて,②・③の描写には若干の省略法が随所にうかがえるところから,やはり①を原本とみるべきであろうと想定できる。また,①と④との関係についてであるが,実は④は,①の傘師,桧物師・扇師・甲胄師の三図から合成されているのである。つまり,①の扇師図をベースにして,-218-
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