鹿島美術研究 年報第5号
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①の甲胄師図の二人の童子,傘師,桧物師の傘美人を前面に配して制作されたのが④の作品である。しかも,女性の衣裳文様まで同様であることからすれば,①・④の二つの作品は,あるいは同一の作者か,少なくとも同一工房の作になる作品と推測されたのである。ただ,①は明らかに職人の生業を忠実に描くのに対し,④は,職人尽絵の体裁を踏製しながらも,表現しようとする精神は,すでに健康的な美人をとらえようとしており,あるいは時代的な差異と,時世粧を汲みとることができるかもしれない。つまり,職人尽絵は,やがて風俗画・美人画のなかに吸収されていくといえるかもしれないのである。次に,職人尽絵についての工芸史的解釈といえば,次のようにいえようか。たとえば,喜多院本の蒔絵師図では,工房とそこで働く職人たちを描くのだが,中央の男性は,蒔絵に使用する蒔絵粉の製作中で,「押し工程」の段階をとらえる,縁側の少年二人は,蒔絵粉を円筒形の容器に入れて,粉をふるい分ける,いわゆる「縦ぶるい」と「横ぶるい」の様子を描く。左側の二人の男は,蒔絵粉の入った粉筒を指ではじいて蒔絵の最中。そして右端の人物は,木炭で蒔絵を研ぎ出しているところで,蒔絵の工程でいえば,最終の段階である。以上のようにみてくると,この絵はただ単に蒔絵師の実際の仕事を素直に描いたものでないことに気がつ〈。つまり,そこにはある目的と意図がくみとられるのである。要約すれば,蒔絵の技術製作工程について,蒔絵づくり,粉分け,粉蒔き,研ぎ出しと,中央の蒔絵粉づくりを基点にして,左旋回の手法で順次わかりやすく説明する展開図である,ということになろう。こうしたことは,何も蒔絵師図に限ったことではなく,喜多院本二四図のほぼ全図についていえることである。今一つ注目すべきことは,蒔絵粉づくりと蒔絵工程を同一画面に描いていることである。現在この二つの作業は完全に分離しており,蒔絵師が蒔絵粉をつくることはあり得ないことである。粉づくりにはいろいろな約束事があり,しかも相当の修業年数を経てはじめて一人前の職人になれるわけで,蒔絵まで手を染めるなどは到底考えられない。とするならば,この蒔絵師図は,蒔絵に関わる重要な作業工程(この場合粉づくり)を同一画面のなかであえて表現したことになる。そこに,職人尽絵の製作された社会的理由があるいは潜んでいるかもしれないのである。つまり,こうした二次元的表現と描写法こそ,職人尽絵のもっとも大きな特徴といえる。従って,職人尽絵とは,職人の仕事のありさまを単に風俗画的にとらえた絵画ではな_219-

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