鹿島美術研究 年報第5号
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4.幕末,明治初期における来日欧米人による出版物について2.起立工商会社の輸出用下絵の調査3.高島北海がナンシー派に与えた影響について1.ギュスターヴ・モローにおけるジャポニスム吸収の原典についてフランス象徴派の画家モロー(1826-1898)は日本美術に深い関心を抱いていたことが知られており,彼のコレクションの一部は,現在モロー美術館に所蔵されている。『北斎漫画』数冊をはじめ工芸品などもあるが,2点の浮世絵とモローが浮世絵からコピーした1点の水彩画については調査がなされていなかった。この機会に,それらの調査を行った。まず歌川芳員の二点の美人画であるが,改印によって1861年の作であることが判明し,また主に横浜浮世絵と制作していた芳員が,三点セットの美人画を制作していたことから,モローの所蔵品も3点セットのものであったことが推定される。但し芳員に関しては横浜浮世絵以外は日本でも詳しい調査がなされていないので,今後の追跡をまつことにした。モローの模写のオリジナル作品もまた,歌川派の芝居絵であると推定されるが,今回は該当作品は見つけることができなかった。いずれにせよ,末期浮世絵の1つであることは間違いないだろう。明治時代,欧米に向けた輸出用の美術作品を製作するために政府の一機関として作られた起立工商会社の図案集が,東京芸術大学の資料館に保存されている。この図案集に関しては,樋田豊次郎氏が最近『明治の輸出工芸図案』で詳しい解説を行っている。ヨーロッパではこの図案に基づいて製作された工芸品が今後多く発見されることが予想されるので,図案集の調査を行い,皿,箱,手鏡,壺等,どのような種類の,どの程度の大きさの,どういう図案のものが作られたか,を中心に調査した。高島北海(1850-1931)は農商務省の役人として1884年から1888年までをヨーロッパ,とりわけナンシーで過し,ナンシー森林学校に留学中,ナンシー派の工芸作家たちと交流を深めた。彼は画家でもあったので,自ら植物図案なども残し,それらの図案はガレの作品等に利用されている。高島の資料は下関の市美術館に多く所蔵され,特に滞欧中のスケッチ帖,交流関係を示す名刺等は重要であるので,これらの調査を行った。その結果,リモージュの美術館のための装飾が実際に行われたのではないか-222-

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