がえすようなものではない。今回行った現地調査の結果,ある作品について従来から行われてきている解釈に少し変更を加えた方がその作品によりふさわしいのではないかとの考えを持つに至ったので,以下に述べてみたいと思う。これから述べようとするのは「松竹=鶴図屏風」(六曲と四曲167. 0 x 384.8cm, 167. 0 x 255. 3cm)についてである。この作品は元来めくりの形で小西家に伝えられてきたもので,六曲屏風一双分の内右隻「松=鶴図」の右端二扇分を失ったものであると考えられる。(『芸術新潮1987年7月号』,山根有三「松竹=鶴図(解説)」『在外秘宝』)そして従来,小西家に伝来した画稿類の中には光琳以外の手になるものも含まれていると考えられることから,光琳自身によってこの作品が描かれたと断定するのは困難ながら,光琳20歳頃の習作ではないかと考えられている。(山根氏前掲論文他)ところで,この作品の左隻に描かれている竹の幹や葉,或いは両隻に渡って描かれている水紋の描写を見ると,画家が自分本来の運筆のリズムではなく,形をなぞって描くような筆致が認められる。この事は各所に描かれた岩の輪郭線や鶴の輪郭線にも認められる。つまり,この作品の筆使に,画家が自分の絵の為に構想をねった画稿というより,何かの原本を写したものではないかと見られる部分があるのである。一方,屏風など大型画面の場合,完成画が小下絵→大下絵→本絵という過程を経て制作されたものであるとするなら,大下絵は小下絵の写しとしての性格も合せ持っている訳である。本図はその寸法から考えて,画稿だとしても画家が修正を加えながら構想をねり上げて行く小下絵ではな〈,小下絵を本絵にする時に本絵と同じ寸法に拡大した大下絵であると考えられる。従って,筆使に写しとしての性格が見てとれるからといって,他人の作品の写しであると簡単に断定してしまう事はできない。ここで小西家に伝来した他の画稿類を見てみよう。小西家に伝えられたものの内「立姿美人図」(『小西家旧蔵光琳関係資料とその研究資料』ー以下『資料』と略すー画稿類1561.4X43.4cm)では腰から下は別紙を貼って描き改める他,左襟から袖にかけても描き直されており,明らかに画稿である。その他でも「虎漢三笑図」(『資料』画稿類1937. 6 x 26. 5cm)なども画稿ではないかと思われる。しかし一方,長い間実物写生だと考えられていた「鳥獣写生帖」(文化庁蔵)が近年狩野派のものの写しである事が明らかにされるなど,小西家に伝来したものの中に粉本として使用する為に作られたと考えられる「写し」が含まれている事も事実である。光琳20歳代の作ではないかと推定されている本図との関連において問題となるのは,-226-
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