鹿島美術研究 年報第5号
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カテトラル聖パウロと聖アントニウス」を配する。ペルシーは大聖堂,司教管区の教会ではなく小修道院(priorychurch)であったから,修道僧の鑑となる「隠者聖パウロと聖アントニウスの遊逗」の逸話,またグレゴリオ修道院改革運動の直後禁欲主義を扱ったと思われる「三頭鳥」と「セイレン」の主題,さらに邪悪な魂が聖なる空間に入るのを阻む「悪魔退治の天使」の主題などが特にふさわしいものとして選ばれたのだろう。この扉口とその周辺部の石組を考古学的見地から観察すると,いくつかの変則的な点があるのに気付かれる(図3)。第一に扉口の彫刻は,楯以外はすべて赤褐色を帯びた石を使用し,表面が湿気のため苔で覆われているのに対し,楯のみ白色石灰石を使い,この部分には苔がない。また楯は両端部でほぼ同様の形で損傷し,この部分の人像は表面が薄片状にはがれている。建築と彫刻に異なる性質の石を使い分けることは普通だが,同じ扉口の彫刻に二種類の石を併用することは例外と考えられたので,フランス古建造局,地質課主任アニー・プラン女史に石質の分析を依頼した。その結果は楯のみ粒子の細かい石灰石でこれはペルシー近郊の採石場のものではないと考えられること,その他の扉口彫刻はペルシー近郊の採石場のバジョース階からの石灰石であることがわかった。なぜ楯のみ異なる石灰石が用いられたのかという疑問が生じる。第二に,半円型壁面を観察すると,楯の両端の上部で二つの異なる弧が見える。内側の弧は半円型壁面の高さを半径とした弧に一致し,外側の弧は楯石の長さに一致する。二つの弧の間隙は別の石材で埋められている。第三に楯を支える軒持送りとそれに隣接する側柱の柱頭は,どちらも彫刻後,配置の段階で隣り合う部分が切断され(天使の翼の一部と柱頭の渦巻文),だぶらさせながら無理に押し込んだように配置されている。また左の柱頭は,左側がわずかながら垂直に切られ,隣接する壁に組み込まれていないのに対し,右の柱頭の石塊は隣の壁まで続いている。また柱頭の柱脚の高さが左右で一致していない。ポーチの葉飾柱頭と柱脚の大部分が規格寸法といってもよいほどの寸法を示していることを考慮に入れれば,以上の三点は設計と制作技術の不正確さから生じた単なる不手際とは考えにくい。二種類の石の併用に関しては,楯を担当した彫師が特にその石を好んだか,他の工房で彫られたものを利用したか,扉口の構成・図像プログラムに変更があったか,あるいはこれらの理由の組み合わせの結果と推察される。柱頭の人為的切断についての原因としては,これらの柱頭が本来,現在の位置よりもう少し-233-

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