-la-Montagne),ヌイイ・アン・ドンジョン(Neuilly-en-Donjon)等,形成期にい大きな空間を想定して彫られたのではないかと考えられる。換言すれば,現在見る扉口構成は原案ではなく,制作過程の途中で,何らかの理由により変更が生じ,再構成されたものではないかという仮説が成立する。この点を考えるには,扉口全体の構成と彫刻様式と,さらに図像プログラムの意味するものを同時に検討する必要があるだろう。現在見るペルシーの扉口を,建築においても彫刻においても出発点となったブリヨネ地方の扉口構成と比較すると,その変則性は一層はっきりする。ロマネスク彫刻黎明期のシャルリウ(Charlieu)に始まり,アンジー・ル・デュック(Anzy-le-Duc),モンソ・レトワール(Mountceau-l'Etoile),フラーリ・ラ・モンターニュ((Fleuryたる諸教会の扉口は,人像様式の上では確実な発展を示しながらも,扉口の構成においては一つの基本型と呼んでもよい形式にしたがっている。すなわち半円型壁面を中心に,その下に楯,楯の左右に柱頭,楯の両端を支える軒持送り,そして半円型壁面の外周をめぐり楯の両側に位置する柱頭に支えられる迫持飾り(archivolt)という配置構成である。この基本型では楯を支える軒持送りと,迫持飾りを支える柱頭がペルシーの場合のように並び合うことはない。逆に,ペルシーの扉口では,楯の左右に置かれるべき柱頭が軒持送りと同じ位置まで下がり,楯の両端には柱頭に代り楯と同じ高さの横長石が置かれていることになる。その結果,長方形の石は楯の延長部のようにフリーズ状に連続している。しかもここでおかしいのは,楯と,延長部の石質が異なっていることである。延長部と楯は,同時期に一つのまとまった構想の下で計画されたのだろうか。あるいは,石質も様式も異なる楯を後から現在見られる位置に入れたため,結果的に楯延長部という特殊性が生じたのだろうか。楯と延長部の特殊性は,図像的観点からも指摘できる。半円型壁面の「荘厳のキリスト」は扉口と飾る伝統的かつ代表的な図像である。これに対し楯と左右延長部の「受難伝からの諸場面」は,その場面選択と表現においてロマネスク時代にあっては革新的なものである。ペルシーの「受難伝」は説話の細部を拡大し,楯をフリーズに見立てて物語を劇的に展開していく。しかも楯という水平横長の枠組に最適と思われる「最後の晩餐」の図像はふくまれていない。プロヴァンス地方のサン・ジル教会の西正面扉口の「受難伝」フリーズがまだできていないこの時点で,モニュメンタルな例は他にないと言える。しかもこの新しい「受難伝」は半円型壁面の「荘厳のキリスト」と-234-
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