(3) プリヨネ(Brionnais)地域プルゴーニュ地方の南西部.ペルシーの南にあたる。(2) フランス古建造局(MonumentsHistoriques)の建築士ゼルマーハイムによっ(4) 断片の発掘場所を,本来建築の中で占めていた位置と即断するのは危険である。て19世紀末に作成され,その後もペルシーに関する出版物に転用されている平面図では身廊の梁間が全部で6つしかなく明らかに間違いである。なぜなら第三クリュニー修道院教会は1789年(フランス革命の直後)から1823年にかけて人為的に破壊され,その時しかけられた爆弾の強度と彫刻の高さによって断片が飛散した半径は違ってくるからである。(3) 15世紀フランドルとイタリア交流に見られる風景の展開と機能研究者:大阪大学大学院文学部研究科博士課程小林典子研究報告:北イタリア調査に先立って,パリ大学美術考古学研究所書館(Bib.Doucet)で予備調査を行い,またフオラスブール大学にてAlbertCMtelet教授と会い,調査に関して種々の助言ないし有益な意見を伺った。また調査終了後も報告と総括を兼ねて再度同教授と話し合いの機会を得た。昭和62年7月4日〜パリ;パリ大学美術考古学図書館7月10日ミラノ;プレーラ美術館11日ヴェネツィア;カ・ドーロ,アカデーミア美術館,コルレル美術館,ジョルジョ・チーニ財団図書館および写真資料室17日パドヴァ;市立美術館,エレミターニ聖堂他18日ヴェローナ;市立美術館,サン・タナスタシア聖堂,サン・フェルモ・マッジョーレ聖堂19日フェルラーラ;市立美術館,スキファノイア宮20日午前中;パドヴァパドヴァ大学美術館史研究所図書館午後;ヴェネツィアチーニ財団図書館及び写真資料室25日フィレンツェ-236-
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