鹿島美術研究 年報第5号
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II)文献・写真及び作品資料の調査術館では特にヴィヴァリーニ一家の展開に注目したが,1450年前後ではなお伝統的金地が好んで使用されており,空,空気,三次元的風景への関心を示す先駆的作例はみられなかった。総じて,中世伝統工房から初期ジョヴァンニ・ベルリーニヘの移行は突如行われている。;カ・ドーロ『傑刑』との関連作品,スクァルチオーネ『聖母子』及び初期マンテーニャヘの段階を示すパドヴァ伝統工房作品を主に調査。市立美術館においてスクァルチオーネ『多翼祭壇画』(DeLazara祭壇画)1449-52年を詳察。中央パネルに,岩の裂け目にうがたれた窓から眺められる風景の興味ある設定が現われているが,風景の具体的モチーフ(岩山,立枯れた木立等)については,現在する北方作品との具体的対応を示すものではない。ヴェローナ;プレデルラ断片『悲しみの人』及び国際ゴシック様式からヤーコポヘの移行点を主に調査した。市立美術館において,残念ながら今回主眼目の一つ『悲しみの人』を実見することが出来なかったが,ヤーコポ作『荒野のヒエロニムス』は国際ゴシック以来はじめて現れた青空表現として注目できる。また,サン・タナスタシア聖堂,サン・フェルモ・マッジオーレ聖堂におけるピサネルロ作品と,サン・ゼーノ聖堂におけるマンテーニャの祭壇画の風景表現を比較観察したが,ピサネルロ風景からマンテーニャ風景へ,すなわちタピスリー様深海色の空から一挙に,輝く青空への移行は,この間何らかの質的激変が生じたことを示しているものと思われる。フェルラーラ;失なわれたベルフィオーレ官殿書斎装飾への前段階,あるいは1450年前後のピエロ・デルラ・フランチェスカおよびロヒール・ヴァン・デル・ヴァイデンの足跡を留める作品群の発見を眼目としたが,予想したように,市立美術館においては出品数も少なく特筆すべきを作例を見ることが出来なかった。最後に,ローマにおいて,サン・クレメンテ聖堂『傑刑』のフレスコ画及びそのシノピアを調査。ヴェネト地方及び北イタリア関係資料について収蔵資料数を誇る,ヴェネツィア,パドヴァの以下の研究諸機関を専ら調査した。ヴェネツィアにおいては,パドヴァ大学教授MichelangeloMuraro教授より,主にスクァルチオーネ及びヴェネト地方の文化的コンテクストに関する多くの資料をいただくことが出来た。またパドヴァ大学では,同時期当地に滞在しておられた小佐野重利氏より,調査に際し多々便宜を計っていただいた他,特に北イタリア写本に関して有益な御意見をいただいた事をここに付-238-

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