いうのも,歴史を生きたモニュメントの特性といえよう。修復では,まず非常に細かい霧で洗い,次に脆くなっている(手で触れればすぐくずれ落ちる状態)大理石内に精製消石灰を注入し,表面はポッツォラーナと消石灰乳で強化した上で消石灰乳と石灰水とでひび割れなどを埋めている。又凱旋門の上部大理石がくずれ落ちている所では,ここから流れ落ちる雨が下の部分を損なっているので,最上部にトラヴェルティーノの厚さ25センチの板をとりつける予定であるという。これが施行されるセプティミウス・セヴェールス帝凱旋門は,しかし,最早表面の90%は破壊されており残りの10%も良い状態ではないので,今回の修復が最後のチャンスであり,しかもこの修復の結果も,石そのものが傷んでいることから,果たして何年もつかも疑問であるとのこと。他のモニュメントに関しても,一つ一つがそれぞれ同種の,あるいは異なった種々の問題点をかかえている。今息絶えようとしている芸術遺産を前にして,今は健康な作品に対しても,美術史家がいかなる研究態度で臨むことが必要であるかを考えさせられた。修復に関連しては,また,システィーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画,及びフイレンツェのブランカッチ礼拝堂の成果も発表された。なおプランカッチ礼拝堂については,20日の午前中3時間にわたって現場で観察,修復師と意見を交換することができた。ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画は,私がイタリアに留学した1968年来研究の対象としているものであり,これに関しては今までに論文3篇(2篇はイタリア語)を発表している。マザッチョとマゾリーノが同時に制作を進行させたこと,<タビタの蘇生と詭者の治癒>の背景の建造物はマゾリーノの手に成ることなど,当時は著名な研究者の意見には反した拙論は,修復後認められるところとなった。<聖ペテロの影によって癒される不具者達>の左背後の石造りの建物部分は,古い修復時,壁が落ちたのを構図を考えずにいい加減に貼りつけてあったことが今回解り,正しい位置に置き換えられたことで,その構図は一層頑強堅固なものとなった。<アナニアの死と教会財産の分配>では,アナニアの遺体の位置に尖頭アーチの空間があったことが知られた。ここを埋めてアナニアの赤衣が塗られているが,その赤はマザッチョの画面中の赤というよりも,むしろフィリッピーノ・リッピの描いた部分の赤である。壁につくられていた小壁寵を多分マザッチョはそのままにして,これにわず-248 -
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