鹿島美術研究 年報第5号
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らわされることなく画面を仕上げていたと推測される(修復師の話では,しかし,ウンベルト・バルディーニ氏はマザッチョがこれを埋めたと考えておられるとのこと)。<原罪>(マゾリーノ),<楽園追放>の両画面において,アダムとイヴの腰部に描かれていた木の葉は後補と判断され取り除かれた。下には全裸の状態で完成されていた。<楽園追放>では,泣き叫ぶ表情こそ大胆なデフォルメがなされてはいたが,イヴは明るいピンクの肌に金髪が美しく,システィーナ礼拝堂にミケランジェロが描いた老婆姿の醜悪なイヴとは対照的である。ミケランジェロにあっては,罪が醜さに通じるとの考えが認められるが,マザッチョの人間観は明らかにそれとは違っている。外見的には美しい罪人,そして外観は決して美しくはない善人(癒される不具者達)の両者をマザッチョはブランカッチ礼拝堂に堂々と描いているのである。「美は徳なり」あるいは「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われてきたが,24■26歳のマザッチョはそうした先入観に捉われずに現実の社会を観察することで,それまでは表現されずに,それ以後も少数の人しか表現を試みることのなかった真の人間の姿をここに留めたのである。貧しい人,容貌の美しさに恵まれぬ人の中に魂の気高さを表現した画家には,マザッチョよりも2世紀近く後のカラヴァッジョがいる。14日朝,ローマを去る前にカラヴァッジョに会いに聖アゴスティーノ聖堂に赴き,じっと<ロレートの聖母>に見入っていると背後に人の気配がした。ポルツァー教授ともうひとり。私達は次に聖ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂に向かった。やがて会議総責任者のクリフォード・プラウン教授も加わった。ポルツァー教授の重要な一研究はやはりマザッチョである。そして今カラヴァッジョの論文を準備中であるとて,その概要を私に話して下さった。今回の旅行のもう一つの目的は『ジャコモ・チェルーティ展』である。チェルーティが生きたのは18世紀であり,この時代はロココと一般に呼ばれる華やかな貴族文化が栄えた。しかしその同じ時代に,清貧主義を信奉する人々がいた。そしてそこから生まれた画題にチェルーティは真価を発揮した。その主題とは乞食,不具者,貧民である。とはいえ彼はそうしたテーマのみに取り組んでいたのではなく,大画面の宗教画静物画,貴族や聖職者の肖像画も制作している。ミラーノ生まれでプレーシャにて画業を開始し,ヴェネツィア,パードヴァ,ピアチェンツァと北イタリアで活動を続けたチェルーティの絵画は,その芸術作品としての質の高さ,画面づくりの軽妙さ(克明な描写と,のびやかな筆触を活かした粗描き-249-

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