21. 1920■30年代の阪神における美術活動もエクスの画家に関する論考を発表しつつ,近代芸術論の展開に独自の役割を果たしたエミール・ベルナールの未刊の「画帖」を紹介,論考を加えることを目的とする。その「画帖」とは,スケッチよりも文字部分の多い手書きの小冊子であり,1986年夏に,北フランスのカンペール美術館が新しく発見し,購入したものである。この研究の意義としては,従来,たんに力のないマイナーな画家として見逃されがちなエミール・ベルナールの近代芸術理論史上の位置を考察すること,そして,その場合に新発見・未刊の資料を紹介することの二点が挙げられる。私は継続してセザンヌ研究を行なっているが,1986年夏にフランスのカンペール美術館を訪れた際に,館長のアンドレ・カリウー氏から,美術館が購入したばかりの新資料として画家エミール・ベルナールの手書きの画帖の存在を知らされた。カリウー氏は,その画帖に興味を抱いた私に,写真撮影の許可を与え,それを研究することを快諾された。研究者:兵庫県立近代美術館学芸員山野英嗣研究目的:これまでわが国の近代美術史は,東京及び京都を中心にして語られてきた。特に,戦前の動向についてはその感が強い。しかし,阪神間の美術界は,この時代(1920■30年代)に近代都市化の波を背景に,注目すべき様相を示している。これまで,阪神間のこのような美術界の動向については,ほとんど調査研究が行われていなかったが,私は,絵画,商業美術等を中心に,東京や京都と比較しても決して遜色のない状況を,具体的な作品・資料の収集・整理に基づいて明らかにしたいと思う。まず第一には,1924年以来開設された信濃橋洋画研究所の理念と活動,及びそこに集まった小出楢重・黒田重太郎らの指導的画家の特色を明らかにすることである。そしてさらに,これと同時代の大阪広告家協会,大阪新美術家同盟洋画研究所の活動も,無視できない。絵画並びにデザイン(応用美術)において,西欧の最新の美術思潮を受け入れる積極的な姿勢が認められる。この動向を,実証的に明らかにすることが,私の研究の第二の目的である。しかし,これらが明らかにされたとき,1920年,30年代における阪神の美術界の前衛的な活動の様相が,新たな美術史的評価の対象となってくると思う。ことにデザイ-37-
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