37.お伽草子絵の基礎的研究ー現存するお伽草子の調査と目録作成一2.当時のヴェネツィアに並存していた様々な趣味上の傾向に対してヴェロネーゼ36.万国博覧会と近代日本美術ー1900年パリの日本人画家を巡って一はどのような相互関係にあるのか。等が関心の焦点である。本研究がこれらの問題を探る端緒となればと考えている。研究者:三重県立美術館学芸員研究目的:文久二年(1862),幕府の遣欧使節団はロンドンを訪れた際,日本人として初めて万国博覧会を見ている。一行は偶然にもそこに初代駐日公使オールコック収集の浮世絵が展示されていることを知る。慶応三年,パリ万博への幕府と薩摩藩等の参加に続き,明治政府は万博を国威高揚の場に利用し国内でも博覧会の促進を図る。「鴨の静物」の画家,岩橋教章は明治政府が初めて正式に参加した明治六年のウィーン万博に随行し,銅版・石版技法を学んでいる。また高橋由ーが「東京十二景」を出品した明治十年の第一回内国勧業博覧会は翌年のパリ万博の準備であった。この万博(1978年)に展示された日本の美術工芸品は,欧州に蔓延し始めた日本趣味(ジャポニスム)へ更に刺激を与えている。万国博覧会が明治日本の近代化に果たした役割は多大であり,それは又日本の伝統美術を海外へ紹介する恰好の機会でもあった。歴史上最も成功した万博と言われる1900年パリ万博には,臨時博覧会鑑査官として黒田清輝,久米桂一郎,浅井忠らが訪れ,文部省留学生の岡田三郎助,和田英作も見学している。岩村透ら白馬会の同志は巴里パンテオン会という親睦会を創った。会場に展示された日本の美術作品は絵画素描百九十三点,版画一点,彫刻工芸七十一点,建築三点に及んでいる。本研究では当時フランスで発行された賂しい量の「博覧会カタログ」や日本の「事務局報告書」をもとに,1900年パリ万博を再現し,フランス第三共和制の卒んだ楽観的な進歩主義を,明治日本の芸術家がいかに受け取り作品に反映させ,日清・日露を挟む近代日本を表現したのかを考察したい。研究者:和泉市久保惣記念美術館学芸員河田昌之研究目的:国文学の研究者によるお伽草子の研究は,明治期以降活発に行われ,平出鰹二郎『室荒屋敷透-47
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