鹿島美術研究 年報第5号
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る。{,^,二.小方守房本報告では第三代守房をとりあげ,その作例をつうじて筑前お抱え絵師の製作態度の一端を考察したい。さきに述べたように守房は,尾形家のなかでただひとり法橋位にのぼり,狩野姓をゆるされている。しかも『画答』(守房弟子林守篤著坂崎坦絹「日本絵画論大系』れば,守房は筑前の絵師たちにとって典型とすべき存在であっただろう。『尾形資料』をみると,守房はその初期には探幽画をお手本としたものがおおく,のちには明兆,雪舟,元信,夏珪,牧埃,王澗,土佐光信とひろ〈漢画,やまと絵を学んでいる。ところで,守房の作例のほぽ半数,そして守房筆とある画稿(後続の絵師がうつしたものもふ〈む)にはかなりの数の仏画がふくまれている。それらは仏画にたいする守房の関心のふかさとともに,かれのすぐれた画技をもしめしている。守房は狩野派の絵師であるから,厳格に粉本にもとづく絵画製作をおこなづたであろうことは想像にかたくない。また,仏画も通常儀軌にもどづきあるいは先行する図様にしたがって製作される。このように守房の仏画は,二重の意味において,その作例の源をさぐることが可能であろう。この作業は,守房の絵画製作における粉本の選択や本画のなりたちをあきらかにするとおもわれる。`,..三.守房の達磨図ここでは守房の仏画のうち博多聖福寺蔵「達磨図」一幅(絹本墨画淡彩縦130.3糎横寺は製作の経緯があきらかであり,かつ大幅の佳作であ^・,.` 聖福寺本は達磨坐禅の姿である。達磨はやや右むきに結珈鉄坐し,右掌に左掌をかさね,両第一指を念ずる。袈裟は偏祖右肩,天の一端をもって頭部を被う。眉,髭,腕,眸部などの毛描きは細線で丹念にえが〈が,袈裟の輪郭や衣摺は太ぐ勢いのある線をもちい,筆数す〈なくえがきだす。また,達磨のすわる座や背景はまったくえがかれては知ない。.では,守房は本図をどのような達磨図をもとにつ〈りあげたのであろうか。守房が知っていたであろう達磨図を『尾形資料』にもとめたい。・全身坐図1達磨図I 昭和55年)にもあるように,守房が探幽について詳細にかたりうる立場にあったとす96.2糎図l);:ぅをとりあげる。守房は三幅の達磨図をのこしているが,そのなかで聖福本-67 -

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