たかが問題である。晴川院の作品をみてゆくと,絵巻模写の最大の効果は,やまと絵系の画風形成に発揮されていることが判明する。そこで晴川院のやまと絵系作品中,今回の調査で得られた比較的初期と思われるものから,晩年の円熟を示す代表的な3点を例に見てみよう。まずく花下雅遊図屏風〉は法眼時代の比較的初期作品と思われる。(晴川院の法眼時代は24歳〜38歳まで)樹幹や岩跛に未だ荒い狩野派風を強く残しているものの,人物の顔は,土佐風を強く意識して胡粉でのっぺりとした表情を描いている。しかし,その表情にはぎこちない堅さが認められ,やまと絵を取り込みはじめた習作期的な要素を強く残す。同じ法眼時代でもく鷹狩図屏風〉は広々とした奥行を表現した郊外風景の中に,水辺に遊ぶ水禽や鷹狩に興ずる人物を繊細な描写で,まさに絵巻中の人物の如く生き生きと描いた傑作である。大画面作品でありながら点景を小さく取り扱うことによって,絵巻のサイズに近づけて,絵巻模写で学んだ筆技を充分に発揮したものと理解できる。ついで法印時代のく源氏物語子の日図屏風〉に至ると人物のやまと絵風描写が繊細さを極め,漢画風の松や梅も雅趣のある端正さをたたえて画面の新古典的なムードにうまく融和している。晴川院の作域の中でいまひとつ注目すべき作品が得られた。<十ニヶ月風俗図〉がそれで,1幅に各3図づつ,扇面や円窓,団扇六角形,四角形に画面を取って,その中に市井の風俗を生き生きと描いた4幅対である。この作品は,鍬形罵斎をはじめとする当時の民間画工らの描く風俗図との関連を含めて,官学狩野派の頂点に立つ画家の描く風俗図として重視される。伊川院と晴川院を比べてみると,伊川院の方により創造的な変革があったと思われる。それは伊川院のく草花群虫図〉<郭子儀・花鳥図〉などにみられる写生への関心が原因であろう。フリーア美術館のく葡萄図扇面〉は金地に墨を没骨風に使って葡萄を描いた小品であるが,葡萄にわずかな朱を含ませているのは,伊川院なりの光の表現とも考えられる。◇鍛冶橋狩野家の場合天心は気づいていないが,鍛冶橋家も,探信守道が出るに及んで一転期を迎えた。ボストン美術館には後期江戸狩野派の作品はあまり多く伝えられていないようであるが,その中で特に注目すべきは探信のく風俗図〉で,箱蓋には「又平之図三幅対探信筆〉」とある。図柄は,彦根屏風系のいくつかのヴァリエーションから取ったもので,箱書に記すとおり,当時浮世絵の元祖といわれた又平画の模写である。左幅に碁を打つ男女を描いているが,その背景の二曲屏風は,伊川院の花鳥図をも思わせる大胆な-72 -
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