鹿島美術研究 年報第6号
100/304

4 木造聖徳太子立像本郷町頭部はやや左後方に木心をはずした一材で,頭頂より首柄まで彫出し,襟の線で挿首とする。さらに頭頂より両頬を通る線で面部を矧ぎ,玉眼を嵌入する。体幹部は体側を通る線で,竪に前後二材を矧ぐ。両足柄は,体幹部前部材より彫出する。桂材と考えられ,彩色は現状のものはほとんど後補である。II. 上記5例の技法構造を分類してみると,13世紀と14世紀の作例では大きく異なる。13世紀後半の造立である薬師寺薬師如来像,勝福寺の諸像は,前後矧合わせ,あるいは一木造で頭体の根幹部が一材で彫出される。しかし14世紀に入る薬師寺阿弥陀如来像,三日町太子堂像は,頭部を別材とし挿首とする。さらに体幹部は,前後二材矧となり木取が細かくなってくる。前後矧合わせの構造は,正面から見れば頭体を一材としているところから,ー木造の像と大きな懸隔はないものと思われる。13世紀から14世紀にかけて,上記諸像の技法構造の展開を追ってみると,ー木造または前後矧合わせの技法から,頭部を別材とする寄木造の技法へと進展していったようにみえる。しかし一方で,ー木造と,頭部を別材とする寄木造の像との中間的な技法構造の作例も存する。塩川町金川寺聖徳太子立像や熱塩加納村浄教寺聖徳太子立像がその好例で,金川寺像では頭部を頭頂より首柄まで一材で彫出し,襟の線で挿首とする。さらに面部は,両耳前を通る線で別材を矧ぐ。体幹部は両足下まで一材で彫出する。頭部を首柄まで一材で彫出し面部を矧ぎ,挿首とするところは,三日町太子堂像に共通する。ただし金川寺像は彫眼で,体幹部が一材である。浄教寺像では,面部を別材としない。13■14世紀の技法構造の流れの中におくとすれば,これら両像はちょうどその境目に位置するであろう。しかし薬師寺や勝福寺の諸像と比較すると,金川寺や浄教寺の像はより洗練された作風をもっている。その洗練さは,三日町太子堂像により近いものがある。そして三日町太子堂像よりは,両像とも顔貌表現に厳しさがあり,衣文の彫出も深く力強いものがある。作風から判断するならば,金川寺像は13世紀後半,浄教寺像はそれよりやや後の造立と考えられるのである。作風に洗練さがあるということは,地方仏においては中央の作風の影響をより濃厚に受けているといえるであろう。この場合,技法構造においても,その影響が及び,ニ日町太子堂-74 -正中3年(1326)銘

元のページ  ../index.html#100

このブックを見る