鹿島美術研究 年報第6号
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5.越前における本地仏像の基礎研究I はじめに会津のみならず,福島県の他の地方にも同様のことがいえるのである。たとえば会津では明徳4年(1393)銘の,金川寺地蔵菩薩立像は一木造である。中通りでは,船引町荒和田観音堂の聖観音菩薩坐像は,背面に永享4年(1432)の銘をもち,やはり一木造である。さらに浜通りにいくと,いわき市胡摩沢地蔵堂の地蔵菩薩立像は,明応3年(1494)の造立であるが,前後矧合わせの像である。地方仏では,頭体の根幹部を一材で彫出するというところに造像の基本があるように思われる。13世紀以後,作風が多様化しても,会津地方の造像の技法的原則は,平安時代以来の一木造であったと考えられる。この技法の基本原則を背景として,会津における作風展開の底流には平安時代以来この地に根付いた伝統的造形があったように思われる。そこに地方的作風が形成され,時として,勝福寺像や薬師寺阿弥陀如来坐像のような,穏和で,古朴な作風の像を生み出すことになっていったものと考えられるのである。研究者:福井県立博物館学芸員長坂一郎研究報告:わが国の神々のもとの姿は仏・菩薩など仏教尊像であるという本地垂迩の思想に基づいて造像された本地仏像を個々の遺品から特定することは難しい。清水善三氏がこのことについて「寺院に安置された仏教神像と,本地仏像として採用された仏教神像との間に図像形式上の相違はまったく認められないが,技法上の面で,本地仏像には彩色も漆箔もほどこさない素地仕上げの像がしばしばみられる点は注目される。」とのべられているように(「神道関係彫刻の分類」『本地仏の総合的研究一成立と展開ー』所収),個々の遺品の形式上からの特定が難しい仕上,他の要因によって,本地仏像か否かの特定を試みる必要があろう。そこで本研究では,像の安置場所をその指標として考えてみた。以下本地仏像として次の三種類をあげ,各遺品の調査を行ない,それに基き若干の考察を試みた。A類:本地垂迩関係がはっきりしており,明らかに本地仏像であるとわかるものB類:神社の社殿の中に神体として安置されるものC類:神社の境内の別堂に安置されるもの-76-

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