鹿島美術研究 年報第6号
108/304

金銀箔散らしや砂子蒔き等の加飾と絵巻の詞書や歌冊子の下絵とが微妙な均衡を保ち,美しい調和音を奏でている作品が少なからず認められる,また一方で,装飾経の見返絵や下絵は金銀箔散らしを中心とした料紙装飾と分かちがたく結びついている。装飾された料紙の上に絵が描かれることによって,両者の間に互いに響き合う相乗的な効果は,装飾経の中に最後の輝きを放ち,本絵巻をも照らしていたのかもしれない。さて,本絵巻の絵の中では人物は二次的に扱われ,特に,絵第一段から絵第三段では主人公さえも小さく描かれ,全身を見せてはいない。画面の中心となるものは,人物の深い感情表現ではなく,季節によって様々に表情を変化させる自然である。極端にデフォルメされた樹木は,柔らかい曲線によって描かれ,美しい花や青々とした葉をつけている。そのほぼ正面向きの樹木を配する庭の景と,急な角度から俯眼した室内の景との織りなすアンバランスな画面空間は,決してこの絵の魅力を損なうものではなく,美しく整えられた画面を構成するためには,空間的な合理性はむしろ必要なかったとも考えられる。申請者は,かつて「葉月物語絵巻」について,画面の構築性や空間性よりも意匠化された画面構成の面白さが,それと同時に,装束や調度を文様でうめつくす等画面の細部に対する興味が追求された絵巻であることを論じた。本絵巻第一段から絵第三段は,デフォルメされた庭の樹木を中心に,建物を画面の一角に寄せ,人物を小さく配する等,「葉月絵巻物語」に比べて画面構成の幾何学化,装飾化が一段と強調されている。すなわち,様々な美しいモティーフを織り込み,画面空間にこだわることなく,意匠性豊かな画面を構成した作品であると言えるだろう。このような構成的な造型感覚は,「源氏絵巻物語」蓬生,竹河,橋姫の各段に相通じると思われ,既に,「源氏絵巻物語」の中に胚胎していたと考えられる。そして,これらの図が「垣間見」「女の家を訪れる男」等の女絵の典型的な図様であるとするならば,そのマニエリスティックな画面構成は,むしろ伝統的な図様を大胆にアレンジした斬新な構図と捉えることができよう。また,本絵巻の中で注目されるのは,各場面に描かれた自然景が,桜散る三月,藤の花咲く四月,郭公の鳴く五月,画中画の蓮の落咲く六月というように,まるで月次絵の一部をなすかと思われるところである。これらには若干の違いはあるものの,当時好まれたやまと絵屏風の画題との一致が認められる。屏風歌に詠まれ,屏風絵に描かれた四季絵・月次絵の伝統は,個々のモティーフを単独で描き込むことによって,さらには,中心となる人物や人家の周りに季節の景物を添えることによって小品画の-82 -

元のページ  ../index.html#108

このブックを見る