7.インド仏伝図像の研究—涅槃図像を中心として一一”は作り上げられた時間のリズムと,幾何学的に構成された画面空間,そして,絵と加飾の未分化あるいは融合という料紙装飾の本質は,本絵巻のみならず,時代を超えて,遥かに王朝を憧憬した時期の作品の中に受け継がれていく。すなわち,時間と空間の抽象性,それに加えて装飾性という概念が,本絵巻以降の新しい“女絵”の伝統になったのではないだろうか。なお,本調査研究による詳細な報告は『国華』誌上にて発表する予定である。研究者:名古屋大学文学部助教授宮地研究報一涅槃に関する図像は,まず最初にストゥーパ(仏塔)図として出現する。すなわち,バールフト,ボードガヤー,サーンチーなどの最初期の仏伝浮彫(前1世紀初めー後1世紀前半)では,釈迦の涅槃場面はストゥーパによって表わされている。この時代にはすでにかなり豊富な仏伝美術が行われているが,仏伝説話の中心となる釈尊は人間の姿で表わされず,聖樹・聖壇・法輪などで象徴的にその存在が示された。涅槃場面はもっぱらストゥーパ,あるいはストゥーパ礼拝図によって,いわば涅槃図の代用として表わされ,僅かにストゥーパ図に沙羅樹などを配して説話的要素を示唆する例が少数あるにすぎない。このようなインド古代初期美術の表現法は,釈尊が涅槃後荼毘に付され,ストゥーパが造立されたことに基づくものに相違いないが,ストゥーパ信仰はインドにおいて特別の意味をもつ。すなわち,ストゥーパは単に釈尊の墳墓というのではなく,仏教の理想である般涅槃(parinirvana完全なる消滅)を象徴するものとみなされたのである。さらには仏陀の般涅槃を象徴するストゥーパは,宇宙の始源にも等しいものと観念され,聖樹・聖山などと同一視されて宇宙論的意味をもつようになり,インドの民衆レヴェルの信仰の中に深く根を下ろす。このようにインドにおいては,ストゥーパのシンボリズムが根強く働いていることもあって,最初期の涅槃図はストゥーパによって代用的に,あるいは暗示的に表わされ,しかもこの図像伝統は後世まで影響をおよぼす。後2■ 3世紀に栄えた南インドのアマラーヴァティー美術においては,「出城」(あるいは「御者・愛馬との別離」)「降魔成道」「初説法」「涅槃」を表わす4相図の浮彫彫刻が造られているが,それらでは昭-84-
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