鹿島美術研究 年報第6号
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を下にする臥法,右脇を下にする臥法があった。Anguttara-Nikaya (II, 244)によれば仰向けの臥法はpetaseyya「死者の臥法」であるが,左脇を下にする臥法はkamabhogiseyya「愛欲者の臥法」と呼ばれるのに対し,右脇を下にする臥法はsihaseyya「獅子の臥法」と呼ばれている。左脇を下にする臥法が愛を成就する者の臥法であるのに対し,右脇を下にする臥法は安息に相応しい休憩の臥法といえる。事実,パーリ本には「そこで尊師は右脇を下にして足の上に足を重ね,獅子の臥法をなして(sihaseyyarp.kappesi),正しく念い,正しく心をとどめていた。」とあり,「獅子の臥法」が仏涅槃の臥法であると説かれている。ガンダーラ美術のみならず,インドではパーラ朝に至るまで,仏涅槃の姿は必ず右脇を下にする「獅子の臥法」がとられ,決して仰向けに寝る「死者の臥法」はとられない。このことは,釈迦の入滅の図像がヘレニズム・ローマの「死者の休憩」の図像に示唆を受けながらも,単なる人間の死ではない,般涅槃の達成であることが強く意識され続けたことを物語っている。ガンダーラの涅槃図は小乗涅槃経と密接な繋りをもっており,涅槃経に記されているいくつかの特徴的なエピソードを盛り込んで表わしている。ここではその詳細は省くが,マッラ族の悲嘆や神々の讃嘆といった一般的な表現のほかに,「魔王とその娘の誘惑」「釈尊の前に立つ優波摩那」「阿難と遺合う遊行者須践陀羅」「滅壼定に入る最後の仏弟子須践陀羅」「悲哀の執金剛神」「動転する阿難」「窪める阿那律」「邪命外道より釈迦入滅を聞く大迦葉」「釈迦の御足を礼拝する大迦葉」などのエピソードの表現である。これらの挿話の多くは小乗涅槃経に述べられており,それらのテキストと強い結びつきを示している。パーリ本・サンスクリット本・漢訳五本はそれぞれ細部の相違があり,これらのうちとくに特定のテキストとガンダーラ図像が結びつくということは一概に言えないが,パーリ本に言及されず,漢訳本によって的確に解釈される図像もあることは注意される。ガンダーラの涅槃図は涅槃経の伝承に精通して初めて読み解かれうるもので,かつ「悲哀の執金剛神」「転倒する執金剛神」「i弟涙の樹女神」など涅槃経にほとんど説かれないエピソードもあることから考えると,涅槃経を潤色した口承伝統の存在をも推測させる。ガンダーラ以降のマトゥラーやサールナートの涅槃図は,このような説話性の強いガンダーラの図像伝統を継承しながらも,説話要素を次第に稀薄にして,悲しみの人物を類型化し,また簡略化して表わす傾向が強く,ほとんど図像的な発展をみない。-86-

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