これに関しては割愛するが,インド仏教美術の最後を飾るパーラ朝(8■12世紀)における涅槃図について簡潔に述べておこう。この時代には中央に「降魔成道」を表わす触地印の釈迦仏を大きく礼拝像的に表わし,その周囲に小さく他の仏伝中の七相(「誕生」「初説法」「1爾猥奉蜜」「舎衛城の神変」「従刊利天降下」「酔象調伏」「涅槃」)を表わす浮彫パネルが多い。これらの浮彫パネルで「涅槃」は必ずその最上部に,小さく簡略的に表現される。沙羅双樹はあったりなかったりするが,釈尊は右脇を下に横臥し,枕辺と足もとにそれぞれ比丘が詭く場合が多い。サールナートの涅槃図像を継承し,さらに簡略化した表現で,二人の比丘は優波摩那と大迦葉といえるが,ほとんど個性を失っている。釈尊の上方に楽器とストゥーパが見出され,楽器はアジャンターにもみられるように,天の楽器が鳴ることを意味するのであろう。ストゥーパの表現はとくに注目され,釈尊入滅の涅槃が単なる“死”ではなく,仏教の理想としての,“般涅槃”を意味するものとして象徴的に表わされたものと思われる。古代初期以来のインドのストゥーパの象徴主義がいかに根強く存続しているかが理解されよう。以上の考察から,インドの涅槃図は,仏教の理想の実現である般涅槃の象徴主義と,仏伝の涅槃説話を物語ろうとする説話主義との二つ軸の中で展開したことがわかる。涅槃の説話表現はガンダーラにおいて確立し,それがその後のインドの涅槃図の基本形として強い伝承性をもち,それが簡略化し,また類型化していった。一方,礼拝像としての大きな涅槃像もグプタ時代以降行われたが,クシナガラやアジャンター第26窟など限られた地にしかみられない。インドの涅槃図は仏伝図の一環として表現されるのがほとんどで,その場合,ガンダーラでは詳しい伝記図像のー場面として表わされ「涅槃」「荼毘」「分舎利」「舎利の運搬」「起塔」などの涅槃サイクルを形づくることも少なくない。それに対し,マトゥラー,サールナート,またパーリ朝などにおいては,四相図や八相図といった重要な伝仏場面を選択してセットにした浮彫パネルを造ることが多く,その中に涅槃場面は表わされるが,涅槃場面がとくにその中心的位を占めることはない。しかし,縦長のパネルの場合,涅槃場面は決って最上部に表わされ,涅槃が釈尊の生涯の終極に位置すると同時に,涅槃の境域の上昇性,精神の高みを暗示している。-87 -
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