鹿島美術研究 年報第6号
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8.殷周青銅器の装飾の研究_二里岡上層期の青銅器の装飾ー一研究者:東海大学非常勤講師末房由美子研究報告:本研究でとりあげる二里岡上層期は殷中期または殷前期にあたり,殷後期青銅器の萌芽期,即ち二里頭期から二里岡下層期に続く第二段階の時期であり,続く殷後期の,他に例の無い優れた造形美の誕生を間近に控えた時期である。二里岡上層期青銅器の装飾は成長期に入ったばかりであるがその速度は緩慢なものではなかったように見受けられる。この二里岡期の青銅器の装飾の実態を明らかにし,その特質を知ることが本研究の目的であるが,研究対象を資料価値の高い新出土青銅器第一にしているため,所蔵地の中国で実見することが大前提となっている。今回1988年9月24日より10月22日にかけてこの目的のために必要なー通りの拠点に足を延ばし,その第一歩を踏み出すことができた。今回,実見研究の対象とした青銅器は,次のような点に留意して定めた。(一)二里岡期の中央出来のものを中心にすること:とくに鄭州市内で見られるものに絞る。これは行動上の問題と次の理由による。二里岡期青銅器は河南省に集中して出土するが,鄭州は中でも出土点数が圧倒的に多い。鄭州は当時の中央勢力の存在が窺われる最重要拠点であり,それらは中央出来の青銅器であるといえよう。(⇒方国の二里岡期青銅器の知見を得ること:一転して当時の中央勢力に対する存在と思われる方国の青銅器の中で,湖北省盤龍城出土品と安徽省内の出土品を対象とする。前者は造形の質,数量とも突出した水準にあり,後者は殷後期以前のものは過少であるが,省全体にみると戦国時代まで青銅器が作られその造形は特異で注目すべきものがある。国二里岡期以外の,関連の深い時期の青銅器の実見を踏まえること:とくに先行する二里頭期の青銅器である。河南省櫃師県二里頭遺址出土品が対象となる。二里頭遺址は二里頭期(殷前期また夏代)の中央勢力の存在が窺われるところである。次は,(一)から口に該当する青銅器の中で,今回実見することのできた青銅器の一覧である。四1,2, 3, 4 (一)に関する青銅器34点河南省文物研究所:(1)大方鼎(H1 : 8) 1982年向陽-88-

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