鹿島美術研究 年報第6号
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ており,遅く出発している上複雑な器形の爵は同列に並ぶはずもないのであろうが,その差異は鮮明であった。二里頭期の青銅爵は,1匿師商城博物館でも5点,居並ぶ形で見ることができたが,各様に異なっていて統一感が無かった。特徴をつかむと幾つかの形式に分類されるが,いずれも爵という形式を的確に得るまでに至らないことを物語る脆弱な器形である。ただし,これらの中に含まれる乳釘文爵図6(1匿師商城博物館)1点図6は,次の二里岡下層期のもののように安定した器形には相変わらず至らないながら,器形は,器の構造が明瞭で最も美しく整っている。そして名称にある乳釘文は正面位置の一側の腰の部分のみにであるが,二本の平行した突線の間に5個の乳釘を配するものである。この文様は二里岡下層期の罪などによぬ見られるものでこの爵だけの個有な図案ではない。二里頭期は青銅容器がはじめて出現した時期であり,それは殆んど爵によって占められている。即ち,殷周青銅器は,無装飾,脆弱な器形の爵から始まり,やがて登場する単純な幾何学文がその装飾芸術としての原初の姿となっている。この後,殷後期までの期間の後半が,二里岡上層期であり,その最後の辺に位置するのが(一)であげた由や大方鼎であると考えられる。実見一覧の中に含まれる上記以外の青銅器には,ただそれと特定した程度にすぎなかったり,グループとしての確認にすぎなかったもの(1匿師商城博物館.・乳釘文爵以外の爵4点)もある。また,予想外の直接実見の機会を得た分(湖北省博物館),偶然のきっかけから見つけた小規模な博物館や陳列室に見い出した貴重な作例(武漢市博物館,晴川閣管理処)などがある。更に,新出土品ではないため一覧に取り上げていないが,青銅器が集中して科学的に陳列され,ガラスケース越しであるが写真撮影が自由な上海博物館では,二里頭期青銅器:罪1点,爵2点,二里同期青銅器:爵6点,罪・狐.鼎各5点,由1点を時間の許す限り観察し,撮影した。どこまで実見が可能か予測のつけ難い中,手探りの状態から始められたが,多くの好意により,漸く研究の緒につけた確かな手応えを得ることができ,今後の見通しを立てることができた。-94 -仔)

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