鹿島美術研究 年報第6号
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6世紀から8世紀にわたる,古代から中世への変革期において,現実にどこに古代・描線・彩色•最取りの調和は,中世に崩れ,描線が主導櫂を執り,最取りが抑制され578年頃の制作が明らかなバーダーミ第3窟の彫刻と絵画では,彫刻においては形態のっているが,そこから出発して古代美術が求めたものは,自然な形態と量感であった。中世彫刻絵画は,古代とは逆に,抽象化・単純化された形態で対象を表現し,古代のを減少させている。しかし中世美術の抽象性は古代初期美術の抽象性とは全く異なり,古代における自然な形態の完成を経えからの変化であるため,形象全対は有機的連関を獲得している。中世美術における形象の輪郭は,その性格の故に,古代美術よりも明晰になっている。この点は取分け絵画に顕著である。古代絵画の目標とした,ることになる。なお古代と中世の形態の差は,文様において典型的に現われ,古代の自然な動・植物を主とした文様が,中世には大きく抽象化する点を付言せねばならない。上述の古代および中世美術の特色は,古代に関しては,クシャーン時代(後1世紀末〜320年)やグプタ時代(320年〜6世紀中葉)の美術に,また中世については,8 世紀以後の美術に明瞭に認められる。つまりインド美術における古代から中世への展開は6世紀から8世紀にかけてなされたと考えられる。この時期は政治・経済の面でも転換期と捉えることが出来る。政治的には,広い版図を領有した支配から分化された地方櫂力による支配へ移行すると同時に,海外をも対象とした商工業が,地方的な規模に縮小されつつあったのが,この時期である。王朝で言えば,6世紀半ばに初期西チャールキア朝が成立し,7世紀初頭に地方の王に対して宗主権を持ったハルシャ王の支配が始まり,同王の支配は7世紀中葉まで続いた。また8世紀前半にプラティハーラ朝が,同中葉にパーラ朝やラーシュトラクータ朝が成立した。古代の帝国支配の変質が明瞭であり,政治史の上でも,古代・中世の概念は西洋とは異なるけれど,かかる時期にインドは古代から中世へと転換したと考えることが可能である。中世の境を求めればよいかという問題が出て来る。この時期の美術作品には,制作年代の明らかな作例,あるいは制作時期がある程度限定される作例が豊富とは言い難い。抽象化が,また絵画にあって描線が目立ち始めており,中世的特質が顕在化しつつある。しかし彫刻は依然として豊かな量感を有し,絵画も最取りが明確である。また文様も自然性を保持している。一方8世紀初頭から前半頃の制作が確認されるカーンチプラムのカイラーサナータ寺院では,逆に彫刻・絵画ともに,抽象的形態把握が進行97 -

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