11. 19世紀における日・英美術交流の研究1921(大正10)岡本一太郎,岡本特殊硝子工業所設立。1923(大正12)満鉄ではドイツ,オーストリアから優秀な職工を招へいし,ガラス加工法の改良に努める。ボヘミア,ハイダの名エルドルフ・イーナー破格の高給で招かれ,各務鎖三,高木茂,明道長次郎らがグラヴュール技法を学ぶことになる。1927(昭和2)各務鋼三,試験場より派遣されて,ドイツ,シュトゥットガルト術工芸学校に留学し,ヴィルヘルム・フォン・アイフ教授に師事する。研究者:チェルシー美術学校(ロンドン)美術史科主任渡辺俊夫研究報ジャポニスムあるいは西洋美術の明治・大正美術への影孵を論じる場合,いままでフランスを重要視するあまり,他の国との関係を無視する傾向が強かった。確かにフランスは重要であるが,イギリスの果たした役割は過去,二,三の例外を除いてはかえりみられることが少なかった。しかし,政治・経済・外交の分野をみれば日英関係がこの期間においては密接であったことは明らかである。実際の対日貿易,人的交流,日本関係出版物の量においては,イギリスはフランスを圧倒していた。このような状態の中で,そもそも美術はどういう役割を果たしていたのであろうかというのがこのテーマの構想の発端である。19世紀における日英美術交流といっても,これは多岐に渡る大きなテーマであり,この調査研究の成果の総括的な発表は,約2年後に行なう予定である。今回の調査は基礎資料の収集,作品を実地に検討すること,及び日本における研究者との意見交流を主目的としたが,その結果明らかになってきた問題点を,中間報告という形で,提起したい。1.英国美術の日本美術への影響という問題の先駆的研究としては中村義ー著「近代日本美術の側面一明治洋画とイギリス美術」(1976年)及び「青木繁=明治浪漫主義とイギリス」展カタログ(1983年)があげられている。確かにこの現象は重要であるが,イギリス美術の影響はこれに留まらず非常に広範なものであったという認識を,今回の調査で深くした。ラファエロ前派以外のヴィクトリア朝絵画も,明治美術に多様な影響を与えており,更に調査を要する。モダニズムに支配された直線的-105-
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