にさらに検討を加えねばならないが,重源ゆかりの寺社は歴史の星霜のなかで急速に変貌しているので,そのことを憂い概要を紹介もし,別稿で報告というかたちで公表することにした。い〈つかの作品は徳地町のみならず,日本の仏教美術史のなかで無視できぬ位置を占めていると考えている。調査には,日本学術振興協会の招聘により重源関係美術研究のために来日されていたハーバード大学教授ジョン・ローゼンフィールド氏,彫刻史の武蔵野美術大学教授田辺三郎助氏,年輪年代学の奈良国立文化財研究所技官光谷拓実氏,奈良国立博物館技官梶谷亮治氏,山口県文化課主査吉積久年氏,徳地町図書館長河野正氏,北九州大学教授錦織亮介氏と九州大学文学部の平田寛.菊竹淳一,林崎1介男,小林達朗が参加した。また,山口県及び徳地町のご協力とご援助を得ることができ,さらに名寺社のご協力も得ることができた。掲載の写真は林崎竹男の撮影になるものである。月輪寺(1)木造薬師如来坐像乎安時代(12世紀)(図1)(2) 木造阿弥陀如来坐像室町時代後期(3)木造聖観音菩薩立像平安時代(12世紀末期)(図2)(4) 木造十一面観音菩薩立像平安時代(12世紀後期)(7)銅製鰐口慶安七年(1374)(図4)(5)木造地蔵菩薩坐像室町時代(6) 1木造四天王立像平安時代(12世紀後期)(図3)(6) 2木造四天王立像平安時代(12世紀後期)(6) 3木造四天王立像乎安時代(12世紀後期)(6) 4木造四天王立像平安時代(12世紀後期)-118-図1木造薬師如来坐像(月輪寺)
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