鹿島美術研究 年報第6号
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日如来坐像(安元2年=1176),静岡・瑞林寺地蔵菩薩坐像(治承元年=1177),岐阜・横蔵寺大日如来坐像(寿永2年=1183),運慶作の静岡・願成就院諸像(文治2年=1186)などの造立を通じ,写実的で力強さにあふれた清新な新様式を確立していったのである。ところで,筆者はかつて建久7年(1196)作と推定される滋賀・来迎寺の阿弥陀如来坐像について考察したことがある。来迎寺像は,基本的には定朝様の流れに立ちながらも面貌にみる青年相や深い襲をなす衣文,印相部の写実的な彫法などに新しい時代の様風が如実にあらわれている。このことからも推定されるように,12世紀後半の保守的な仏師の作風は,定朝様の枠を解き放たれて様々な試みを行っていたということが推測されよう。次にこうした,12世紀後半期の様相を物語る作例をいくつか紹介したい。浄信寺・阿弥陀如来坐像(滋賀県木之本町・重要文化財)木之本地蔵として名高い浄信寺の庫裏に安置される客仏で,伝来は明らかでない。木造(ヒノキ材,寄木造り)漆箔の等身像(像高86.8cm)である。本像で注目されるのは,膝にあらわされた衣文で,ゆるやかな丸みをおびた大きな波の間に,やや縞だつ小さな波を規則正しく配している。昭和4年の美術院の修理の際に表面を整えたかとみられる部分があるが,ほぼ当初の様相を示しているとみてよいだろう。この種の衣文は,万寿寺をはじめ,滋賀・法恩寺阿弥陀如来像,後白河院の念持仏と伝える京都・専定寺阿弥陀如来坐像など,12世紀中ごろ以後の作例に多くみられるもので,本例もそのひとつとすることができるであろう。法道寺・阿弥陀如来坐像(堺市)本堂後陣に安置される。木造(ヒノキ材,割矧造り)漆箔の等身像(像高87.Ocm)で,定印を結び裳懸座に坐る。正面観では肩幅が広く胸や腹の豊かな安定感のある姿にあらわされ,側面にまわるとやや猫背ぎみの自然な姿態をみせる。地髪部はややふくらみをみせ,顔は若やいだ豊頬の円満相にあらわされる。細い目は上瞼の線がややうねり,上唇には明瞭なくくりの線を刻んでいる。薄づくりの衣にあらわされた間隔の詰まった襲はやや繁雑とも見うるが,浄信寺像のように整然と丸い大波とやや縞だつ小波を繰り返すものに較べれば,そこにいっそう衣が実際あるような現実感を求めているといえよう。総じて彫り口は隠やかだが,一種なまなましい感覚がある。本像-124-

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