高85.0cm)で,12世紀から13世紀にかけて流行した説法印を結ぶ像である。地髪部がの場合,基本をなすとは定朝様だが,以上みてきた特色はいずれも12世紀後半の新しい傾向を示しているといえるだろう。像内をきれいにさらえる入念の作で,この時期としは類例の少ない裳懸座とともに貴重な作例と考えられる。いずれ由緒ある像なのであろうが,残念ながらその伝来は明らかでない。仏陀寺・阿弥陀如来坐像(京都市・重要文化財)当寺本尊で須弥壇上に安置される。木造(ヒノキ材,割矧造り)漆箔の等身像(像ふくらみをみせ,頬の豊かな顔には,康尚時代の少年相を思わせる目鼻だちを刻む。一方,足の踵の部分を扁平とせずに盛り上げるようにあらわすのは,京都・浄瑠璃寺薬師如来坐像(永年2年=1047),奈良・霊山寺薬師三尊像(治暦2年=1066)などにみられるもので,これらは11世紀の中葉としては古様に属するものであろうが,少年相とともに興味を引く点である。また,膝や左肩の衣文は,丸みのある大きな波に縞だつ小波を交える12世紀後期に通有のものだが,間隔をかえたり,抑揚をつけるなどの変化をつけている。唇の縁どりの線を縞だてて刻んだり,衣文が条線的であるなど,その彫り口には硬さがあらわれている。このほか右足首にかかる衣には,ごくひかえめながらいわゆる松葉状の衣文がみられ,右膝には陰刻線風の衣文が刻まれている。この像の作者が,それまでのさまざまの時代の仏像の要素を参照しながら取り入れようとしていることを指摘することができよう。浄信寺。阿弥陀如来立像(滋賀木之本町・重要文化財)阿弥陀堂本尊で,木造(ヒノキ材,割矧造り)漆箔の半等身像(像高96.2cm)である。平安時代後期の三尺阿弥陀如来立像の系譜を引くものだが,頭部を小づくりとし,胸や腹,腿などの上体をゆったりとり,さらに裳裾は小ぶりにつくる均整のとれたプロボーションをそなえる。側面観では頭部がやや前よりにつき,腹部が突き出るのに対して,裳裾は薄づくりにつくられる。類例はあるものの定朝様の列のなかでは新しい試みということができよう。腹部などに刻まれた煩瑣な感じのする薄手の衣の製は,やや深く彫られ,随所に縞だつ小さな衣文が交えられている。左胸や腹前にかかる衣の端は折れかえりをつくるなどの変化をつけているが,特に左肩から外にかかる衣が重なったり,たたみこまれる部分は,衣と衣とのかさなりが明瞭に意識されてあらわされている。こうしたところは,前記諸像の衣摺表現や,京都・長講堂阿弥陀三尊像の衣が肉身から離れるかのように表現されているのに通ずるもので,ここでも衣が実-125_
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