鹿島美術研究 年報第6号
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18.幕末・明治期日本渡来画家の研究1861年来日し日本の近代洋画史に大きな影響を与えたチャールズ・ワーグマンは18562.マルタ・アレキサンドリア間での船上の昼寝1857.4.17 3.ヴァレッタ号上で砂漠を横断する矢頭隊を決める<じ引き1857.4.17 際あるように表現しようとする傾向を認めることができよう。このように,12世紀の後半期は,慶派のみならず院派・円派においてもそれぞれの仏師が,一種の写実的表現や,仏陀寺像の康尚風の相貌,長講堂像の天平復古などにみるように,定朝様の枠から解きはなたれて新しい試みを行っていた時期であるといってよかろう。12世紀前半の制作と考えられる京都・醍醐寺阿弥陀如来坐像がすでに玉眼を嵌入し,一方で横蔵寺像や円成寺像が比較的保守的な要素を残していることを考えると,12世紀後半の造仏界はそれぞれが自己を主張する,まさに多様性の時代であったということができる。この時期の造像が注文制作であり,その作風には願主の意向が反映したと考えられることや,鎌倉新様式の成立には南都復興という精神性があったことをもっと勘案してもよいものではないかとも考えられる。研究者:神奈川県立博物館専門学芸員横田洋一研究報告:幕末から明治期にかけて来日した外国人画家についてチャールズ・ワーグマンの他にペリーと共に日本に来た画家P・B・Wハイネ,1877年に来日したフランス人画家フエリクス・レガメについても調査したがここでは紙面の都合上,日本の洋画史上重要な役割を果たしたワーグマンの行動の一部を報告するにとどめた。イラストレイテッド・ロンドン・ニューズに掲載された来日以前のチャールズ・ワーグマンの挿絵年中国でのアロー号事件に端を発する英国・中国の紛争を取材するため1857年本国から中国へ赴くことになった。その年の春,マルセイユから船出しアレキサンドリアまで行き,そのからは陸路をたどり,更に再び紅海に出てインド洋を通り中国に到着している。中国では約3年間滞在し取材をしている。この間の彼の行動はほとんど知られていないので,その間のロンドン・ニューズの挿絵をリスト・アップしておく。1.ヴァレッタ街のスケッチ1857.4.17 -126-

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