鹿島美術研究 年報第6号
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る様式が混在しており,それをどのように解釈するかは研究者によって様々である。この様式上の相違をP・トエスカ(1951)は三人のジオットの追随者の手に分けることによって説明する。それに対してG・プレヴィターリ(1969)は,三人の異なる画家の存在を想定するのではなく,ひとりの画家が三つの段階に亙って様式変遷をしたと考える。またM・ボスコヴィッツ(1971)によれば,「聖ニコラの画家」の他に「聖キアラの表現主義的な画家」が実作に参加しており,更にジオット自身の筆も認められるという。聖ニコラ礼拝堂は通常閉鎖されていて中に入れず,照明もないため,これまで十分に細部を検討することが出来なかったのだが,今回,観察の機会を得て以下のことが確認出来た。この礼拝堂壁画には,トエスカの言うように確かにさまざまの様式が認められるが,また一方でプレヴィターリの主張するある程度一貫したひとりの画家の個性も存在している。そこでこの矛盾をどのように考えれば良いのかが問題となって来る。様式が混在すると言っても,単純に三つの様式に分けられるわけではなく,問題は更に複雑で,実際には同一画面内にも別種の様式が共存しているのである。例えば洗礼者ヨハネの赤い外衣は,既にジオットのパドヴァ様式の量感を備えているにもかかわらず,その足の描き方は,上院の「新約伝」中『キリストの洗礼』のヨハネのそれと殆ど同一で,かなりプリミティヴな表現に留まっていると言わざるを得ない。また『執政官を許す聖ニコラ』では,上院の「聖フランチェスコ伝」から建築モティーフを引用している一方で,画面左側の群集表現においてアッシジでは見られない各人物間の空間が暗示され,『アデオダトゥス.解放する聖ニコラ』が『溺れた少年を家へ返す聖ニコラ』では,パドヴァ以前の空間表現に留まりながら,しかし部分的にポドヴァのモティ一つを用いたりしているのである。そして窓縁部の何人かの聖人胸像も,顔の表現の質が高いのとは対照的に身体部は平面部でヴォリュームに欠け,手の描き方も脆弱である。『溺れた少年を家へ帰す聖ニコラ』の画面左側の赤い衣服の女性像にジオットの自筆を認めたボスコヴィッツの意見に同意出来ないのと同様,窓縁部の聖人も質が高いとは言え,ジオットのパドヴァ様式との径底から,ジオット直筆との速断は避けなければならないと考える。このことから,聖ニコラ礼拝堂装飾の大部分を請け負った画家は,上院の「新約伝」,「聖フランチェスコ伝」,それも特に後半場面,そしてパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂壁画の様式を折衷したのではないかという推測が成り立つ。しかしこのような考え-133

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