面と向かうことができたが,その重々しさと沈黙によって深く心を動かされた。私は騒々しい世界を抜け出し,瞑想する思索者たちのあいだに入った思いであった。そのとき以来私はしばしばこのコントラストについて反省し,外光をもとめる,私たちのいわゆる近代的な芸術にたいする賛否を推し量った。昔の人びとは室内の光を求めていたのであるから。芸術家の力はしたがって定式化にある。ルーベンスがかたちと色を鳴り響かせるように見たまえ。ティツィアーノが美を示し,ミケランジェロが肉体を生き生きと表現し,レンプラントが絶妙の効果を見せ,[フランス]・ハルスが生命を高揚させ,レオナルドが魂を浮かび上がさせるように。色価あるいはデッサンの明暗法について子供の頃,私はベッドから眺めた天井の面に,通りの通行人たちがゆくのを見て,そのまるで写真のような効果に驚いた。後にそれは空に照らされた道路の反映と,光にたいして通行人たちが作り出す対比とによるものであることがわかった。明暗の対比から生まれるこのシルエットの現象は,自然界のすべてのものが暗さに対する明るさと,明るさに対する暗さのコントラストによって私たちに見えるようになることを,原理的に私に示してくれた。絵画の偉大な巨匠たちはこのふたつの対比から彼らの最良の効果を引き出している。ポール・ヴェロネーズが『カナの婚礼』において,レンブラントが『ベトサベ』において,ティツィアーノがその『埋葬』において。実際に色価のすべての法則は,全体に於いてはきわめてはっきりと,部分に於いてはそれほど明瞭にではなく生み出されるこのコントラストに基づいている。すべてはその効果のみによって見られ,デッサンされ,肉付けられるということもできよう。それゆえ輪郭線というものはない。輪郭とはだから量をつくりあげるための足場に過ぎない。それは絵のなかで消えねばならず,そこではあらゆる形態は輪郭無しにただ対比されてあるのだ。ティツィアーノは晩年にこの法則を見出し,それを絵具を薄く重ね合わせる手法によって用いることになる。、第10紙表。第11紙表。第12紙表。-141-
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