鹿島美術研究 年報第6号
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第17紙葉表にはゴシック教会の正面を描いたと思われる淡彩デッサンが全面に施されて第17紙表。2)紫,オレンジ,緑。[第16紙葉裏には建物を正面から描いた線描デッサンがあり,その下に“chateaufort" 1)はインディゴ,赤茶,自然なオークル・ドールとなる。2)はラック・ブリュレー,ヴァーミリオン,エメロード緑となる。このように色の掛け合わせは3X 3で,色価は画家の完全な作品をもたらし,白はオペレーターとしてのみ考えられる。カリエールのような何人かの画家は色価のみを用いようと望んだために彼らの絵は色の輝きに欠け,また他の人びとは色彩を使おうとして色価を損ない,その絵画は光の諧調を欠いている。それゆえ,私たちに色彩と色価とを一緒に知覚させる視覚の現象を考慮にいれなければならない。第15紙表。同じく,私たちの眼の内部に備わっている,或る種の円錐形と或る種の梓状体の助けによって視覚を成り立たせる科学もまた。光について画家が行なわねばならないのは光によってである。彼のキャンヴァスは薄暗い夜のようなものであって,そのうえに光のある一連の色斑によって形が描かれると考えねばならない。この現象のいちばん良い例は他に写真である。写真は光それ自体を使用しながらこの仕方で撮影する。色価はそれゆえ光を代表するものそのものであり,絵画においては光なしに(...(3)におけるように)生命を獲得することはない。したがって色彩に明暗を付け加えなければならず,それによって光は表現される。つまり色価が。(城塞)の文字がみえる。いる。]絵画は現実そのままの再現ではない。昔の人びとは自然から真実に接近することに努め,それは芸術にたいしてきわめて大きな進歩をもたらした。しかし彼らは(私たちの科学的な理論を欠いていたために)それを完全に獲得するには至らなかった。彼らは形によって,また制作の完全さによって,真の方法を捜し求めた。それが彼らを凡庸さから,つまり芸術の科学とは異なるひとつの科学そのものから救った。私たちの近代の人びとは,逆に,-143-

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