鹿島美術研究 年報第6号
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(1) basseはここでbaseの意味で用いられている。(3) 判読できない箇所。第18紙表。(2) permanerontはベルナールの造語と考えられる。ここでは「恒久なものとなる」の意(色彩理論と最近の知識のおかげで)純粋な模倣に近づくことが出来,トロンプ・ルイユにまで,野蛮なやり方でかたちと完全な制作を破壊したのである。かたちの探求のなかには愛情と感情とがある。失われたのはそれなのだ。多すぎる知識はしばしば演奏家をして頭脳よりも手の人にする。何よりも努力が必要であり,偉大へと導く。理想を持つことが学者を救うだろう。だが,たいていはそれが欠けている。物質的な知識は精神の渇望を失わせるものだからである。そこから永遠の妥協が...あまりに明るいものは表現を欠いている。影は絵画の表現そのものなのだから。明暗は絵画芸術の第一の部分である。それこそ雄弁である。それは色価によって,色彩の師なのである。[第19紙葉表面には線描された建物(2階あるいは3階建てに屋根裏部屋付き)の正画の淡彩デッサンがあり,その下に“maisonfrani;;:aise"(フランスの家)の文字が記入されている。第20紙葉表面には,3階建て(に屋根裏部屋)の建物のデッサン。第22紙葉表には,男の顔を描いた淡彩デッサン(別紙でなされその部分だけ切りとったもの)が貼りつけられている。第23紙葉表には,同様な女の顔のデッサンが貼付。第24紙葉表面には,同じくレオナルドふうの男のデッサンが貼付。第25紙葉表には,同じく二人の人物の顔のデッサン(老女と男か)貼付されている。]に取る。以上がエミール・ベルナールの未刊のノートの全体である。そこに記された芸術論的思惟はきわめてアカデミックな偏りを持ち,それが1891-96年にかけて記されたものとすれば,ポン=タヴェン時代以降が急速に伝統へ回帰していったことを端的に示していると思われる。註-144-

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