鹿島美術研究 年報第6号
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21. 1920■30年代の阪神における美術活動研究者:兵庫県立近代美術館学芸員山野英嗣研究報告:これまでわが国の近代美術史は,東京及び関西における京都を中心にして語られてきた。特に,戦前の動向についてはその感が強い。しかし,関西の地においても,大阪と神戸を中心とする阪神間の美術界は,1920年代から30年代にかけて,この時代に活発化する近代都市化の波を背景にしながら注目すべき様相を示していることが確認できる。今回の調査では,従来の美術史が殆ど触れることのなかった阪神間のこの時代の動向を特徴づけると思われる資料の発掘に力点を置いたので,その若干の成果について報告したい。二科会会員によって大阪市西区に開設された信濃橋洋画研究所は,設立当初から活発な活動を展開し,この研究所が母体となって企画開催した全関西洋画展寃会(通称全関展1927年に第1回展を開催)は,関西の当時の洋画勢力を大阪に糾合する原動力となった。この全関展は数多くの作家を育てる役目を果たしたが,前田藤四郎がポスター・デザインを考案したといわれる第7回全関展(図I)が開かれた1933(昭和8)大阪新美術家同盟と名づけられたこの美術団体は,成立に際して,バンフレットの中で次のような宜言文を掲げている。「従来,大阪に於ける美術団体『帥園会』『ZIGZAG』及び彫刻団体『クレイ』は展莞会やその他の行動を個々別々にやっていましたが本年2月以来3団体の代表者が数度会合して話合った結果,殆んど共通の利害と方向とを持っている私共が何等連絡統一なく箇々バラバラに行動をつづけて行くことは不利であり予盾であるという話から,この同盟をこしらえることになりました。以後私共は各団体間の相互扶助と相互批判により美術の正統な発展を計るためこの同盟をおし進めて行きた1924(大正13)年4月,小出楢重,鍋井克之,国枝金三,黒田重太郎ら関西在住の年4月,大阪に新しい美術団体が誕生している。-145-図1

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