鹿島美術研究 年報第6号
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いと思って居ります」と記し,「山車園会」からは,赤松進,伊藤継郎,前田藤四郎,松本鋭次,大石輝ー,田川寛ー,田川勤次ら16名の名を連ね,「ZIGZAG」には,中村箕川島昇太郎,西阪修ら15名が,「クレイ」からは,宮島久七,白石正義ら7名の作家によって,この同盟が成立していることが明らかにされている。「ZIGZAG」は,1930(昭和5)年に第1回展覧会の開催の記録があり,その翌年にレイ」は,この「ZIGZAG」の彫刻部から生まれた純彫塑研究団体であり,1932(昭和7)年8月に設立されたものである。その後,「クレイ」は大阪新美術家同盟に参加するが,その内容,組織の拡大を期して,新たに保田龍門を会員に迎え,1936(昭和11)年に「大阪彫塑会」と会名を改めている。1937(昭和12)年11月,大阪市美術館において大阪新美術家同盟第4回展が開催されたとき,『大阪新美術』と題された雑報が発刊されたが,この雑報で,これらの団体の小史についての記述がある。さらに興味深いのは,「ZIGZAG」や「大阪彫塑会(クレイ)」に加えて,「ロボット洋画協会」や「関西水彩画協会」「セクションダール」といった団体が,大阪新美術家同盟に加盟していることである。就中,「ロボット洋画協会」は,1931(昭和6)年に結成された団体であるが,同年の秋に第1回展を朝日会館で開催しており,出品者には,石丸ー,川口四郎吉,永武,藤田勝太郎の名が挙げられている。当時の朝日新聞には,古家として(恐らく古家新であろう),次のような評が載っている。「ロボット洋画協会は,大阪では最も新しい傾向の団体である。そのうち構成派的要素を多分に含んだものに石丸ー,猪川克巳ら,野獣派的傾向のものに米良道博,渡洋一,辰馬靖康氏らがある」。ここで注目すべき作家は,川口四郎吉であろう。川口は,大阪商科大学(現大阪市立大学)美術部に関係し,田川寛ーとも交流があったが,川口自身,1933(昭和8)年の全関展で,最高賞の全関西賞を受賞している。抽象的な作風を押し進め,大阪市立美術館で開催の第6回大阪新美術家同盟展には,<コムポジション>(1939)という題のマレーヴィッチ風の幾何学構成を試みた作品を出品してもいる。ところで,1931(昭和6)年2月に,大阪で,ソヴィエト・ロシア美術団体「四美術社」の日本支部が開所する(図2.開所を告知するポスター)。このポスターには,絵画部の指導者として,吉原治良や小西謙三らと共に,この川口四郎吉,田川寛ーの名が見えるのである。四美術社は,吉原治良がさし絵を担当した「すいぞくかん」と第2回展を開催し,彫刻部を設置して,大阪新美術家同盟への参加となっている。「ク-146-

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