24.中世大和絵における中国絵画の影響に関する研究大きな影響を受けたと考えられる。IIグループには,木版金銀泥刷作品群の中で唯一貴重な年記を持つ「花丼金銀泥刷絵隆達節巻」が含まれる。その「慶長十年九月日」という年記は,畠山本の制作年代を考察する上で,さらに重要性を増す。IIグループが初発的な性質をもたないことから,この年記以前に,木版金銀泥刷作品群の制作が既に始められており,ある程度の期間を経ていること,また,畠山本はこの年記から遠く離れない時期に制作されたと推定できる。IIグループの畠山本への接近を指摘したが,これは換言すれば,畠山本の図様と版下図様との相違を示しているとも言える。その相違を補うべく,版木が巧みに活用されているのである。畠山本の作者,すなわち俵屋宗達と木版金銀泥刷作品群の版下絵師を同一視する意見もあるが,使用される版木が異なる背景の下に制作されたと考えらることからも,各図様において個別に検討し直す必要があろう。研究者:京都国立博物館美術室員(技官)若杉準治研究報告:鎌倉時代の絵巻の様式展開を考えるとき,中国絵画の影響は看過できない。この問題は単純ではなく,絵巻画面にあらわれた現象としての中国絵画の影需の具体的な分析,またそのもとになる中国絵画の移入の状況という基礎的な研究を要する。そうした点を視野に入れつつこの問題へのアプローチを試みたが,その中で一つの興味深い例を見出したのでそれについて報告しておきたい。絵巻の中に中国絵画の影聾が現われる契機の一つとして,中国を舞台とする物語(特に高僧伝)の絵画化において,中国の絵画を導入したことが挙げられる。華厳宗祖師絵伝義湘絵に描かれる太湖石を思わせる岩と庭上の鶴(巻二)や,草虫図のような蝶や鳳凰の舞う草花(巻三)などは,明らかに独立した絵画の利用が想定できるし,東征絵巻の圭角的な岩の形態にも中国絵画との相似が窺われる。そして,これらに水墨画中画が描かれていることも,制作にあたって舶載の中国絵画が導入されていることを端的に示している。そうしたなかで,ここでは一つの典型的な例として浄土五祖絵をとりあげる。浄土五祖の伝絵としては,鎌倉光明寺蔵の一巻本と,5祖それぞれの伝記を数巻で描く浩155-
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